ニッケイ新聞 2014年4月2日
1日よりはじまった連載「軍事政権開始から50年」、第2回目の今回は、1964年の軍事政権と米国との関係について検証する。
米国は1955年からソ連との冷戦状態に突入していたが、その緊張感は1959年、キューバに共産主義政権が誕生したことでさらに高まっていく。ときのアイゼンハワー政権はキューバとの国交断絶などで共産主義を警戒したが、その次のジョン・F・ケネディ大統領は、米国が経済支援を行なって南米の資本主義を活性させる「進歩のための前進」という経済政策で、南米のキューバ化阻止につとめた。
この政策が開始されて間もない1961年にブラジル駐在大使となったリンカーン・ゴードン氏は、ブラジルの共産主義化を強く恐れていた。同氏は1962年6月、ケネディ大統領への電話で「ブラジルで共産主義が進行しつつある」という報告を行なった。それは、左翼系のジャンゴ大統領の下で、電力企業の国有化や、外国企業の余剰利益を還元する法案を成立させようとしていたことに同氏が驚いていたからだ。
電話の記録によると、ゴードン氏は米国政府に対し、ブラジルが共産主義政権を築くのを止めるべく、800万米ドルの選挙対策資金を送付するよう要求した。さらに、「ジャンゴ大統領は権力を強めようとしている」と語り、それを阻止するため、第2次世界大戦のイタリア戦線で活躍し、伯軍にも馴染みのあったヴァーノン・ウォルターズ氏を駐在武官として派遣するよう要請、実際に就任にこぎつけた。
そして64年、事は大きく動いた。前年の63年11月にケネディ大統領暗殺の後を受けたリンドン・ジョンソン大統領は、南米の共産主義化に対して強硬路線を取るようになった。時を同じくしてブラジルでは、ジャンゴ大統領の後ろ盾を受けた労組による大規模なデモが目立ちはじめていた。3月27、29日には海軍でも待遇改善を求めたデモが起こった。
「軍隊にまでも共産主義が蔓延」と判断したゴードン氏は、この時点で米国政府に対し、伯軍のクーデターを支援すべく、武器や石油を送るように命じた。1976年に発見された「ブラザー・サム作戦」という機密事項に関する文書によると、既に米国空母がサントス港に向けて動いていたが、3月31日~4月1日にクーデターが勃発し、軍政が成立したことで引き返している。
その後、米国は「コンドル作戦」により、南米諸国に次々と誕生した軍事政権を支援していくこととなる。