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ぷらっさ=想い出を温めて::時の流れ

クリチーバ  田口さくお

 何時ものことながら月日の流れの速い事に実感を感じる年の始めです。
 今年頂いた年賀状の中に深く興味を感じたものがありました。墨絵で描かれた「馬」の絵に書き添えられた文です。
「忠恕(ちゅうじょ):
この言葉をいつも心にかけております。今年も宜しくお願いします。甲午元旦」
 私は恥ずかしながら「忠恕」の意味が解りませんでした。早速字引で調べましたところ、あの有名な孔子の言葉でした
 皆さんもご存知の通り、孔子は中国春秋時代の人で儒教の祖であり、また、彼の残した言葉が論語であります。忠はまごころ、そして恕は人に対しての深い思いやりで孔子が唱えた人間の最も本能的で、基本的な徳の事だそうです。
 この年賀状のお陰でまた一つ何かを教えられた
様な気分になりました。
私もその年賀状を見ながら少年時代を思い出していました。
 私の父も色々と私に言って聞かせました。父は孔子のような難しいことは何も知りませんし、学もありません。ただの一人の農夫です。それでも父の残してくれた言葉を今思い出して懐かしく思います。
 「親と言う字は立木を見ると書く」、それは我が子が立っている姿を遠くからみて喜んだり、悲しんだりするのだ、とか、「身のほどを知れ」とか「何時までも在ると思うな親と金」とか::
そうです、昔むかしの思い出です。そして、私は昔に返って古里の詩を書きました。
 「レンゲの花が咲いていた。それは、それは綺麗な花だった。
 空にヒバリが鳴いていた。それは、それは綺麗な声だった。
 空はおぼろ月夜の春だった。それは、それは切ない夜だった。
 窓辺が白く明ける頃、私は夢からさめていた。それは、それは昔むかしのことだった。」
 人間は誰でも歳を重ねてくると故郷が懐かしくなります。あの偉大なブッダでさえも最後は生まれ故郷を訪ねようとしました。ただ、残念ながらその途中で亡くなられましたが::私は故郷には帰りたいとは思いませんが、何時も古里の幼な友達や山・川の風景を思い出しながら毎日を送っています。
 「たらちねの:山川遠し:異国にて:心はいつも千の風かなーさくお」

(2014.2.8掲載)