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ぷらっさ=友情と極貧時代

サンパウロ  平間浩二

 20歳でやっと夢を実らせ、定時制高校の機械科に入学した。戦争で家を焼かれ、幼少時は、貧乏のどん底であった。中学時代に高校に行きたいと思ったが、家庭のことを思うと断念せざるを得なかった。就職してから何時か高校に行こうと夢を抱き続けていた。2年経っても3年経っても仕事の関係で時間が取れず行くことが不可能であった。
 しかし夢は捨てなかった。仕事先を変えて、学校に行ける会社を探した。そして自分の力で入学することができ、本当に嬉しかった。5年間のブランクはあったが、何とか皆について行けそうだった。入学当時は、46人もいたが4年後の卒業時には、28人に減少していた。もちろん男性生徒だけで16歳から50歳代までと年齢に大分差があり、私は20歳で若い方であった。
 夜学の生徒の殆どは、昼間は中小企業の工場に勤務している者とか、個人経営している零細企業の子弟であった。ご多分に洩れず私も中小企業の自動車のプラスチック部品を造っている会社の工員であった。
 授業開始は7時からであった。本格的な授業が始まって、1カ月ほどしてから、1人気になる学友がいた。私の隣に何時も座っているのだが、必要以外には、あまり話をしなかった。彼は何時も授業に遅れて来ていたので気の毒に思い、ノートを見せるようになり、それから急速に親しくなった。
 授業が終わってから、時々2人で中華飯店やおでん屋に入り、仕事の話や授業についての話しをしながら酌み交わした。日中、精いっぱい仕事をして夜遅くまでの勉強である。当初は慣れないこともあり、睡魔との闘いであったが、慣れると同時に親友もできたせいか、毎日学校へ行くのが楽しくなって来た。
 2年の終わり頃、ある学生グループの集会に出席した折、リーダ―格の学生が、苦学して大学に入った体験を発表した。私はこの感動的な体験発表を聞いて勇躍歓喜し、その場で「よし私も大学へ行こう!」と決心した。そしてその友人にも大学進学を勧めた。
 しかし、当時の状態では、入試合格は到底無理である。彼も行く気になったので、人を介して、大学に勤務している講師を紹介してもらい、高校の授業が終了した後、10時30分から午前2時まで、週5日間みっちり教えてもらうことにした。
 月謝は高校の4倍であった。初めの内は何とかやり繰りしていたが、徐々に生活が逼迫し始めた。アパート住まいは出来なくなり、彼の勤務している会社に入り、彼と同じ部屋に住むようになった。仕事と勉強で朝から夜中まで一緒である、2人共ストレスが溜まり、一寸した感情的なことで、大ゲンカしたこともあった。
 その後には、親密度も深まり、給料をもらった週の日曜の夜には、後で支払う月謝のことや参考書の購入のことも忘れて酔いつぶれたことも度々あった、酔いが醒めてから、後悔しきりだった。     続く

友情と極貧時代2

 ある時、授業が終わって腹が減ったので屋台でラーメンを食べた。冬の午前2時半過ぎなので寒さが身に沁み熱燗を2人で飲んで、いい気分になった。しかし、その為、帰りの電車賃がなくなり歩いて帰ったことも今では懐かしい想い出である。
 逼迫した時には、キャベツ1コとサッポロ味噌ラーメン2個で、3日間の糊口を凌いだこともあり、こんなことは日常茶飯事であった。その他に銭湯屋のおばさんに事情を話し、銭湯代をボーナス時に一括払いにしてもらったこともあった。叔母さんは、今まで何十年も番台に立っているが
「あんたみたいな人に会ったのは前代未問だ!」と云って呆れられてしまった。
 しかし、叔母さんは快く承諾してくれた。どんなに金がなくとも、1食や2食抜いても耐えることは、青春と希望があったので悲壮感に浸ることは全く無かった。
 そうこうしている内に、受験日が刻々と迫って来た。これが最後のチャンスと腹を決め、2人共会社に事情を話して、1週間の休暇を取った。必勝を期し、昼夜を舎(お)かず、勉強に没頭した。
 いよいよ試験当日がやって来た。運を天に任せ何の気負いもなく試験に挑んだ。この2年間、極貧に耐え、寝る時間を惜しんで必死に勉強して来た。その知識の蓄積をあますことなく発揮することが出来た。
 そして合格発表の日が来た。張られている紙に自分の番号を探す時、呼吸が困難になり心臓が張り裂けそうだった。
『あった!あった!合格した!』友も合格した。2人はなりふり構わず抱き合って喜び、滂沱の涙にくれた。私は法学部、彼は工学部であった。
 彼は寡黙な男で、自分の感情を表に出すことはなかったが、この日初めて「有難う!」と云った。私はさり気ない振りをして受け答えたが、胸に「グッ!」と来るもがあった。彼の真実の心をみる思いがして、本当に嬉しかった。
 2人共1970年3月に無事に卒業したことを添えてペンを措く。
 極貧時代を友情で支え合いながら、同じ目標に向かって突き進み、切磋琢磨しながら目的を達成したことは、青春時代の最高の心の宝であり、感動は生涯忘れない
「卒業を果たして友の笑顔かな」

(2014.4.23/26 掲載)