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ぷらっさ=心を癒したギターの音

サンパウロ 諏訪とみ

 母の日が近づいてきた。母が逝ってよりはや24年が経つ。母の記憶を書くのをも供養になるやもと思って書いている。
 母はずっと長男夫婦と暮らしていたけど、その義姉が入院していたので、私が母を自分の家に連れてきた。
 母は娘が三人居る、私は末っ子。健康な人で、食べ物に好き嫌いがなく手のかからない人だったけれども、家に年寄りが居るという事は、世話をした事の有る人しか解らない苦労が有る。
 私は店を経営しており、主人はつくる事が好きで小さな工場を持っていた。
女中を帰す時間には店を主人に頼んで、私は家に帰ってくる。母は昼夜の区別がつかなくなっていたので、昼でも夜中でも大声で叫ぶ。一日中働いて疲れている夫を、目覚めさせないよう側について居ねばならない。姉の一人は交替するためによく泊まりに来てくれた。
 息子の所に居れ、母には勝手の解った自分の家である。若かった頃にはいつもミシンをふんで、パッチワークをしていた。そしてどんな模様に仕上げるにも「赤い布が少し入っていないと映えないんだよ」と言って、赤い布を大切にして居た。
 端布をつなぎ合わせて座布団や布団カバーなど作ったのを見て、絵を描く主人は「ほう、配色がなかなか良いな」と言って感心していた。
 でも私が引き取った頃にはもうそんな事もできなかった。そして息子や孫の居る家に帰りたいと言ってきかない。
 義姉さんは病気なんだから帰れないんだよ、と言ってきかせてもすぐに忘れてしまう。母が家を恋しがるのに連れて行ってやれなくて、可哀相なのだけどどうしようもない。家では常に人がいたのに、私達は働いているから一人ぽっち。女中はブラジル人だから話は通じない。
 その日も本を読んであげたりしてようやく眠りにつかせた。私は精神的にかなり疲れていた。しばらくして部屋を覗いてみると母はよく眠っている。夫も既に寝入っている。
 私はそっと足音を忍ばせ、電気もつけずに階段を降りてサーラに入った。窓から月明かりがサーラ一ぱいに射し込んでいた。
 もう大分夜更けなのだろう、物音一つしない。月の光だけの世界に、私はしばし我を忘れて立っていた。ふとサーラのすみに置かれているギターが目に入った。習い始めてまだ間が無いギター、無意識のうちに私はそのギターを抱き上げた。そっとつまびいてみる。
 まだメロディーにもならないそのギターの音は、乾いていた私の心を潤すように沁み入った。そしてその音は何故か遠い遠い、何の屈託も無かった頃の私の姿を浮かび上がらせた。すべてが視界から消えた。
 どのくらいの時間が経ったろうか、或いは一瞬だったのかも知れない。私はその感慨に浸っていた。

 (2014.5.3掲載)