様々な移民の生き様を見聞きしてきた。大成功した人や独特の人生観を身につけた人、波乱万丈、凡庸な生き方を送った人―。それぞれに面白いし、勉強になる。そのなかでも、特に移住の意義を感じさせられるのは、地元に根付き共に歩んできた人だ。12日に急逝したレジストロの金子国栄さんがそのいい例だった▼18歳で新潟からレジストロに移住し、製茶会社で42年間勤め上げた。その間、文化、慈善団体の運営にも携わり、行動や言葉の端々からは地元愛が滲み出た。決して怒らず、謙虚で温厚な人柄は、その朴訥な話し方にも表れていた▼丸一日、レジストロ近郊を案内してくれたことがある。出しゃばることなく、同行した地元二世の方の説明に相槌を打ち頷きながらも「こんな話もありましてね…」と取材の補足をしてくれた。気も利かせツボを押さえた巧みさに、心底感心した。そんな立ち振る舞いはブラジル人や日系人のなかでリーダーと認められ、昨年の入植百周年祭事業の中心人物の一人として支え、成功に導いた▼地元の新聞に日ポ両語で長年投稿を続けた。本紙にも記事を寄せてくれ「ぷらっさ」の常連でもあった。亡くなる3週間ほど前、昼食を共にした。「来るときは僕が運転して、帰りはお願いするんですよ」と、旨そうにビールを呷り、故郷新潟の新聞に送り始めたブラジル通信の内容について嬉しそうに語る笑顔を思い出す▼葬儀には花輪80基、600人が弔問、市は正式に3日間の喪に服した。本紙編集部が現在編む百年史の完成を楽しみにしておられた。無事の刊行が我々にできる最高の供養だと思っている。(剛)