ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | 「設計士の中の設計士」逝く=ニーマイヤーとも働いたリマ氏

「設計士の中の設計士」逝く=ニーマイヤーとも働いたリマ氏

在りし日のリマ氏(ウィキペディアより)

在りし日のリマ氏(ウィキペディアより)

 ブラジリア大学建設などで、オスカール・ニーマイヤー(1907―2012)、ダルシー・リベイロ(1922―1997)とも一緒に働いたジョアン・フィウゲイラス・リマ氏(82)が、21日に亡くなった。
 1932年にリオデジャネイロで生まれたリマ氏は、30年以上をバイア州で過ごした。前立腺がんの治療のため、リマ氏自身が設計・建設したサルバドールのサラー・クビチェッキ病院に入院していたが、他界した。
 レレーの愛称で親しまれたリマ氏は、「設計士の中の設計士」「合理性の詩人」といった異名も取った人物で、ブラジリア建設の際もブラジリア大学の設計・建設などに関わった。
 また、サルバドールでは、病院や学校、駅、市役所の建物、歩道橋などのプロジェクトに積極的に参加。その他の州でも様々なプロジェクトを手がけている。
 主な建造物は、1980年に開設したブラジリアのサラー・クビチェッキ病院や、1980年にサルバドール市内の大通りの上をまたぐ形で建設された歩道橋など。2009年に手がけたブラジリア大学のダルシー・リベイロ氏記念館は、先住民の住居と空飛ぶ円盤を掛け合わせたような形をしており、ベイジョドロモと呼ばれている。
 リマ氏の作品はニーマイヤー氏と同様、曲線を使ったものが多いが、建設方法はニーマイヤー氏とは違い、コンクリートのパーツを先につくり、それを継ぎ合わせていく方法を採用した。
 ニーマイヤー氏に招かれて設計した連邦直轄区タグアチンガの病院はその後の病院関連プロジェクトのきっかけとなり、サラー・クビチェッキ病院は連邦直轄区と七つの州に建てられている。また、病院建設プロジェクトに使用するパーツの研究開発のため、レッジ・サラー・テクノロジーセンターも開設された。
 サンパウロ市にある設計と市街化を専門とする大学、エスコーラ・ダ・シダーデ学長で設計士のシロ・ピロンディ氏は、「リマ氏の作品は花を描いた詩の趣があるが、その構造と空間の広がりは宇宙船のように技術的なものだ」と評している。
 ただ、設計から建設まで、プロジェクト全体に直接関わっていたリマ氏にとって晩年の障壁となったのが、プロジェクトを立ち上げた設計士には建設そのものへの関与を認めないという入札に関する法律だ。
 2013年に受けたインタビューでこの点について訊かれたリマ氏は、「土木建築ではいくつもの事務所が別々に仕事をする事が多いが、本来なら、建設事業に携わる人達は医師や看護婦に当たる技術者と密接にコンタクトをとるべき」との見解を述べている。
 リマ氏の訃報に際しては、ジウマ大統領やマルタ・スプリシー文化相その他、多くの人々が弔辞を寄せている。同氏の通夜は22日にサルバドールとブラジリアで行われ、その遺体は23日、ブラジリア建設に関わったパイオニア達のために備えられたカンポ・ダ・エスペランサ墓地に埋葬される。(22日付フォーリャ紙などより)