溝口シゲヨさん(67、三世)さんは、佐賀県出身の移民家族の孫としてサンパウロ州ビラッキ市に生まれ、18歳まで日系社会のなかで育った。「実は、学生時代ポルトガル語が苦手で、学校では通訳してくれていた同級生に頼っていた」という。
18歳で出聖、進学し、サンパウロ大学で生物学を専攻した。卒業後、サンパウロ市の初等・中等学校で物理、生物学などの理系教科の教員として働き、後にサントアマロの高校で校長職9年間、サンパウロ州教育局で教育管理職を務めた。退職後、ヴァルドルフ学校連盟の事務局長として、教育業界にかかわり続けた。
「今だから笑えるけれど」と2008年の学生募集を行った当時をふりかえる。
「当初は、ブラジル学校の教員を対象としていたが、要項を発表する直前に金融恐慌が起こり、多数のブラジル学校が閉校に追いやられてしまった。急遽対象者を変更し、日本の学校、非営利団体、宗教団体など通じてブラジル人子弟の教育支援に携わる人たちを対象とし募集を行うことになって」とプロジェクト開始からハプニングに見舞われた。
準備の段階で行われた調査で約800人が受講を希望し、うち417人が入学試験を受け、上位300人が入学を許可された。入学者の大半が30代から40代の女性で、約3分の1は高等教育修了者だったが、約半数は中等教育修了者で、大勢にとって、学位を取得する機会にもなった。
溝口さんは学生の疑問に答えたり、要望や相談にのったり、会場の手配を行ったりと日本での講座が円滑に進むよう調整役を務めた。
自宅で課題を行いながら、教員への相談や、学生同士の議論はインターネットを利用し行われた。年6回の面接授業はテレビ会議システムを利用し、ブラジルにいる教員の講義を受講するなど、通信機器を駆使した先進的な方法がとられた。
その内容の中で特にユニークだったのは、もともとの教育課程にはなく、在日ブラジル人のために特別に開講した「日本学」の講義だ。日本社会と接点がないと批判されるブラジル学校関係者に、日本語をはじめとし、文化、日伯移民の歴史、地理、法律、政治などについて基本的な知識を教授し、居住社会への関心を喚起することなどが目的のひとつとされた。「二国文化の理解と融合を念頭に開講された〃日本学〃の授業は、日系移民やデカセギについてあらためて考え、議論し、実りの多い内容となった」と溝口さんはいう。
特に盛り上がったのは、15歳でブラジル学校から日本の中学校へ転校した生徒が、卒業時に在籍期間が短かったことを理由に、証書が授与されなかった実際のケースを取り上げ、日本の教育法や子ども権利条約などと照らし合わせながら議論を行った授業だった。
そして、二国の間で複数の言語にふれ育つ子どもたちの発達をどのように促すのかをテーマに、継承語・バイリンガル教育を専門とするトロント大学の中島和子教授をむかえ、理論的に学んだ授業は特に高い関心を呼んだ。(つづく、宮ケ迫ナンシー理沙記者)
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