復元工事を終えたカザロン・ド・シャが新たな文化拠点、市の観光スポットとして注目を浴びている。未舗装の田舎道、見渡す限りの緑の中、カザロンは不思議な存在感を放つ。どこか日本離れした華やかさがある建物だ▼くぎを一本も使わないはめ込み方式の宮大工的な建築で、特殊技術を要することから日本からわざわざ大工を呼び寄せて修復した。立て直した方が安くつくほど手間のかかる作業だったが、おかげで日本移民史のシンボルに生まれ変わった。これからは同市の子ども達の移民史学習の拠点にもなる▼86年に連邦政府によって文化財と認められ、コロニアの財産の中では唯一の連邦指定文化遺産となった。日本文化普及を目指す日系団体にとっては貴重な施設だが、中谷哲昇さんが保存運動を始めた90年代当時、地元日本人会の反応は「半ば白眼視」だったと、同氏が2005年に本紙に寄せた寄稿にある▼中谷さんに聞くと「多分、彼らにはカザロンの価値自体が分からなかったんだろう」と言った。思えば今は日本でも、古典音楽や伝統舞踊などは国内の若者には不人気で、海外で価値の再発見が起こっている。カザロンのケースもそれに似ている▼最終的に建物の価値を認め、復元資金を出したのはブラジル社会だ。しかしそれはコロニアが躍起にならなくとも、ブラジル社会に日本移民の価値を認めようという動きがあるという証ともいえる▼カザロンは、コロニア遺産がブラジル国のそれになったという一つの象徴だ。W杯や五輪で注目が集まる今を機に認知度を上げ、中谷さんら有志に頼り切らない継続した保存運動が今後も必要だろう。(阿)