2002年に麻薬組織の取材中に惨殺された悲劇でも知られる、ブラジル国内で敬意を集めたジャーナリスト、チン・ロペスについてのドキュメンタリー映画「チン・ロペス~イストリア・デ・アルカンジョ」が5日より公開された。
チン・ロペスの本名はアルカンジョ・アントニオ・ロペス・ド・ナシメントで、1950年にリオの貧しい黒人家庭の家で生まれた。育ったのは有名なエスコーラ・デ・サンバのあるマンゲイラのファヴェーラで、マラカナン・スタジアム近くの丘だった。
チン・ロペスはリオの大学でジャーナリズムを専攻したあと、グローボ紙などの新聞に寄稿するジャーナリストとして活動をはじめた。その頃からチン・ロペスと名乗るようになるが、それは自身の風貌が当時の人気歌手、チン・マイアに似ていたためだ。
80年代半ばにはサッカー、94年にはリオ起源の音楽であるバイレ・ファンキのルポルタージュで注目を集めたチン・ロペスは、95年からTVグローボの看板報道番組「ファンタスチコ」のスタッフになり、そこでのスクープで96年、2001年にブラジル報道界最大の栄誉であるエッソ賞も受賞する。96年からは同番組のプロデューサーにもなった。危険なファヴェーラや麻薬組織などにも恐れず取材敢行する彼の報道姿勢は敬意を集めていた。一般にブラジルのジャーナリストは中流以上の恵まれた家庭の出身者が多いが、ファヴェーラからのジャーナリストという点でも彼は異色だった。
だが、2002年6月2日、チン・ロペスはリオのコパカバーナで麻薬組織によって誘拐された。リオのバイレ・ファンキの世界で、子供たちが虐待を受けていることに迫った報道を行なっていた矢先だった。
6月11日、チン・ロペスの遺体はペドラ・ド・サポ丘陵で焼死体となって発見された。手足は切られており、遺体がチン・ロペスのものであるかはDNA鑑定でやっと確認された。
そんなファヴェーラに育ち、ファヴェーラで殉死したジャーナリスト、チン・ロペスの一生に迫ったドキュメンタリー「チン・ロペス~イストリア・デ・アルカンジョ」は、チン・ロペスにゆかりのある人たちの証言で構成された作品だ。この作品は既に昨年のリオ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞、今年1月のアメリカのサンディエゴ黒人映画祭で最優秀外国映画賞を受賞している。(5日付G1サイトより)