ブラジルの軍政史(1964~85)を語る上でヒロインのひとりとなっているデザイナー、ズズ・アンジェル(1921~76)の息子で、政治犯として拷問死したとされるスチュアートさんの遺体の隠蔽場所について、当時の空軍大尉がリオの真相究明委員会に報告を行なった。10日付伯字紙が報じている。
ズズはハリウッド女優に顧客がいたほど成功していたトップ・ファッション・デザイナーで、左翼団体の10月8日革命運動(MR8)の一員だった息子のスチュアートさん(当時25)は1971年6月14日にリオの空軍に逮捕された。スチュアートさんは空軍中央情報局(CISA)から拷問を受けて死亡したが、公式発表では「行方不明」とされていた。
スチュアートさんが拷問死した詳細を一緒に逮捕されていた活動家からの手紙で知ったズズが、スチュアートさんは米国との二重国籍であることを活かしてエドワード・ケネディ上院議員に通報したため、スチュアートさんの件は米国議会でも取り上げられた。ズズはその後もブラジルを訪問したヘンリー・キッシンジャー国務長官(当時)にもかけあっており、ブラジル軍事政権の拷問は国際問題として知られることになった。
ズズの努力にもかかわらず、スチュアートさんの遺体の行方はわからないままだった。だが、10日付エスタード紙によると、当時空軍大尉だったアルヴァロ・モレイラ氏(89)がリオの真相究明委員会で2013年9月と14年2月、6月に行なった報告の中で、当時軍曹だったジョゼ・ド・ナシメント・カブラル氏(故人)との会話でスチュアートさんの遺体の場所について聞いていると言及したという。
証言によると、当時サンタクルス空軍基地の管制官をつとめていたナシメント氏は、当時のジョアン・パウロ・モレイラ・ブルニエリ中尉(故人)から、10番滑走路への飛行機の停泊を止めるよう命令を受けた。同中尉のグループは空軍基地内で遺体の隠蔽作業を行なったが、その遺体は「ズズの息子のものだ」と伝えられたという。
この報告を受け、リオの真相究明委員会は当時サンタクルス空軍基地に勤務していた存命中の人に調査を行ない、詳細をつきとめる意向だ。同空軍基地は拷問と遺体隠蔽の場所としても知られていた。
ズズは1976年4月14日にリオで交通事故のため亡くなったが、謎が多く、当時の南米の軍政国が米国のコンドル作戦を実施していた頃のため「軍による陰謀では」とも言われている。
また、スチュアートさんの妹のヒルデガードさんは、兄の件をはじめ、軍政時代の真相を求めるジャーナリストとして知られている。
タグ:軍事政権