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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=2

 窓ガラスに触ってみたら、あるはずのガラスがない。道理で煙が入ってくるはずだ。大半のガラスは壊れていてなかった。わざわざ出迎えに来てくれた大先輩の大塚さんによれば、ブラジルでは高い所から悪ガキ共が汽車を目掛けて石を投げ、窓ガラスを壊してしまうのだそうで、汽車の窓は大半が割れていた。
 また、日本の汽車とちがって、ブラジルでは薪を焚いて走るので、風の日はどんなに暑くとも窓は閉めるのが習慣の様だ。風の日は煙ばかりではなく火の粉が飛んできて服に穴が開くこともあるそうだ。少し線路の曲がったところを通った時に前方を見たら、なるほど煙突の先から火の粉を散らしながら汽車はどんどん進んでいる。
 その黒煙と火の粉の取り合わせは、まるで竜が天に向かって先幸を祈って下さっているかの様だった。うつらうつらと浅い眠りの中、どのくらい汽車は走ったのだろう。黒煙を吐いて走る中、町らしい燈火や駅らしい所もあったが、素通りするのは移民列車ゆえだろう。どの位の時間が経ったのか分からないが夜明け近かったと思う。あんなに暑かったのがひんやりとしていて、常夏の国と聞いていたがむしろ肌寒い。
 所はバウルーという町だと大塚さんが説明してくれた。ここでノロエステ線方面に配耕になった人達が乗り換える為に降りて行くんだとの事。成程、それらしい一団が移動しているのが見える。「お元気で!」と心の中で祈らずには居られない。「長い航海を共にし、同じ釜の飯を食べた仲間に幸あれ」と祈った。一時間位かけて水と薪を積み込んだ汽車は、また元気に走り出した。
 走り出したと思ったら、今度は次の駅で止まった。そのうち車掌さんが何か言いながら通り過ぎて行くが、さっぱり分からない。何かの故障だろうと思ったのだが、線路が単線なので上り列車を待つために止まったのだそうだ。日本流で五分も待てばすぐに動くのだろう、と思っていたのだがとんでもない。2時間位は待たされた。
 呑気なもので時間表はあっても一日に2往復位なので、いい加減な運行らしい。そんな具合で窓ガラスが割れていても取り替えるのを忘れるんだそうだ。時間表はあっても無視……というか我関せず。それがブラジル流だというから呆れて開いた口が塞がらない、呆れただらしなさだ。大陸性気候とは年平均して変化がなく、それで怠慢になるのだと学校で教わったのを思い出すが、一理ある表現だ。アフリカや南米もそれに属すると話にも聞いたことがある。それならば俺たちもその内そんな風に退化するのだろうか、と思うとやりきれない。
 時の流れを忘れるほどそんな事を心配していた。どの位停車していたのだろう、外はうす明るくなっていた。突然前方から強い光が差し、ごうごうと天地をつんざく様な轟音を響かせて長い長い貨車が通り過ぎていった。と同時に此の汽車もするどい汽笛を残して発車した。まだ明けきってはいないが視界も広がり風景が見えるようになってきた。
 しかし、作物らしいものは見えず、荒地のような所をしばらく走り、再生林らしい所を抜けると赤煉瓦作りの家が見えた。数にしたら二十軒位あっただろうか。そこの上手のほうに整然と並んで植えられているのが、ブラジル名産のコーヒー園だそうで、さっき見えた赤煉瓦の家が従業員の住まいだと聞いた。「我々の行く配耕先の耕地でも、そんな感じのところが待っているのだろうか」と勝手に想像し、希望がわいて来た。あんな文化住宅に住めるのかと思いめぐらしながら汽車に揺られていった。
 やはりブラジルの主作物はコーヒーなのだろう。高いところには見渡す限りのコーヒー園が続く。低地にはバナナの葉が生い茂っている。バナナは多いらしい。バナナ、パイナップルと想像はたくましく食い気旺盛な年頃、食べる事が頭から離れない。
 そのうちに、大塚さんに、「もうちょっとしたら着くから早く顔を洗って来なさい」とせきたてられた。「もう着くのか。早くさっき見た赤煉瓦の文化住宅に着きたい」。今日は1935年1月25日。疲労や興奮のせいだろうか、列車でどの様に過ごして来たのかまるで記憶にない。