ジョーゴ委員長は「日本人を残酷に扱ったことは、ブラジル人にとって語ることを憚られる歴史でもある」とのべ、戦後の勝ち負け抗争時にDOPSで不当に日本移民を拷問し、日の丸を踏まなかっただけの人までアンシェッタ島に送り込んだことを、ブラジル政府側の一機関としてツッパン公聴会で謝罪した。
昨年10月にサンパウロ州議会で行われた第1回公聴会では、連邦レベルの同真相究明委員会の元委員長ローザ・カルドーゾ弁護士が出席して「真相究明委員会の名において日系コロニアに謝罪する」と語った。政府筋が、ヴァルガス独裁政権時代の日本移民への人種差別や迫害を初めて正式に認めて謝罪したものであり、近代史においてインディオ、黒人以外にも人種差別があったことを認めたという意味で歴史的な発言だった。その第2回が同抗争の出発点ツッパンで行われた訳だ。
父と祖父の島送りは、山内家にとって家族史の暗闇的な部分だった。山内房俊の息子、ツッパン在住の山内明(65、二世)は本紙取材に対し、「父は島での体験をずっと話したがらなかった。戦争中は僕ら二世もブラジル学校でいじめられたから、結局日系ばかりで固まっていた時期があった」と思い出す。「ブラジル人はとても良い心性を持っているが、あの時代はアメリカに煽られて反日宣伝がひどかったから仕方なかった」などと感慨ぶかげに述懐した。
公聴会の途中、戦中戦後に不当な迫害を受けた日本移民に対し、山内明の娘フェルナンダが日伯両国旗に献花をした。
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勝ち組子孫側からのこのような疑問提起に対し、ツッパンに生まれ、今も在住するカワカミ・タカオ(75、二世)も証言台に立って、従来の歴史観からこう反発した。「確かに子どもの頃、日本人は差別されていたが今はもう完全に統合している。事実、私は色んな団体の会長を歴任した」と語り、「私が聞いているのは、ツッパンでは強硬派が負け組の3人を殺す事件が起きたという歴史だ。その犯人や未遂者、協力者がアンシェッタ島に送られたと考えている」との歴史観を示した。
同地発行のポ語郷土史『Tupa Depoimentos de uma cidade(ツッパン 一つの町の証言)』(2012年、第2版)を調べてみると、600頁余りもある力作だった。最終章近くには、勝ち負け抗争が7頁に渡って扱われ、《戦勝狂信者からお金をだまし取るために臣聯は1943年頃に組織された》(567頁)などと記されている。実際の創立は1945年であり、事実関係が検証されていない。
また参考文献として『コラソンイス~』を挙げ、日の丸事件に関して《(国旗で靴を拭われて)屈辱を受けた日本人らは、エジムンド軍曹を捕まえて殺そうとした》(569頁)と書かれている。加えて、当時の臣聯ツッパン支部の幹部名が詐欺やテロの片棒を担いだ人物であるかのように実名で引用されている。そんな郷土史を読まされた子孫は、どんな気持ちになるのか…。
カワカミが公聴会で語ったのは、まさにこの「郷土史」に書かれている内容だ。臣聯幹部だというだけで島送りにされた人たちは、司法的にも行政的にも放免された経緯があるのに、見事に抜け落ちている。
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一連の公聴会を企画した奥原純さんは「現在はデモクラシーの時代。自由な言論が保証されている。公にお互いの議論を戦わせることが重要。今までのようにタブーにしておくのは、日系人の歴史にとって良くないと思う」と訴えた。
サンパウロ市から駆け付けた日伯文化連盟の仁井山進理事も証言台に立ち、「我々は情報戦の時代に生きている。米国はそのスペシャリストだ。我々は歴史の真実を求めて、もっと調査を重ねないといけない」との考えを述べた。(つづく、深沢正雪記者)
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