ワールドカップがはじまって2週間あまり。あとは決勝トーナメントを残すのみとなった。現時点ではまだ断言できないところもあるが、少なくとも現時点においては、W杯開催前に懸念された「ひどいW杯をやっている」という印象を幸いにも与えていないように見える。その要因となっているのは、運営面のことを心配させないほどに、ゲームそのものが白熱し、世界中のサッカー・ファンの関心を捉えて離さないためだ。
王者スペインの脱落
一体誰が、前回大会優勝国で、FIFAの世界ランキングで長期間にわたり1位を獲得したスペインの最初の予選脱落を予想しえたであろうか。そしてイタリア、イングランド、ウルグアイという、過去の大会優勝チームが3国集まったD組で、最初に決勝トーナメント行きをきめたのが「蚊帳の外」と目されてきたコスタリカになろうとは。
B組でスペインを撃破したオランダやチリと並んで、これらのチームには世界中からの熱い賞賛の視線が注がれている。
また、ネット世界の発展により、ヒーローになった選手のパロディ画像が世をかけめぐるのも、本大会を盛り上げるもうひとつの一因となっている。
ブラジル戦で、4度にわたり決定的なシュートを防いだメキシコのオチョアや、負ければ後がなかったイングランド戦で、一瞬にして決勝点を決め、今大会注目のストライカーと目されているウルグアイのスアレスなどは、その活躍ぶりをスーパーマンや歴史的偉人に重ねられ、世界中で「時のひと」となる状況にまで至った。
国民のシニカルな空気
こうしたことに沸く光景を見ていると、昨年のコンフェデ杯や、本大会の開幕日までにつきまとっていたブラジル民のシニカルな空気は、「少し過剰だったのでは」という気がしないではない。
ブラジル自体が世界的注目のかかる大会を前にプレッシャーを感じ、平静さを失っていたのではないか。それは「国の発展のため」と称しつつ、理屈の通らない暴力的な破壊行為に及ぶブラック・ブロックスの一団などの姿を見るに、そうした矛盾は感じられた。
開幕試合で観客から罵声を浴びせられ、マスコミ的には敵役にされているジウマ大統領は、開催2日前の6月10日に「ペシミスタ(悲観主義者)は負けるのみだ」とテレビ演説で語った。
諸外国の注目が集まるW杯開幕前になってから、「NAO VAI TER COPA」(W杯はない)などと「今ごろする主張か」という内容の抗議行動で混乱を起こす人たちを見ると、大統領がいう「悲観的すぎる」という意見はあながち間違っていないように思える。
それはブラジルセレソンに対しての態度でも同様だ。開幕試合での西村主審の判定での得点込みの勝利や、メキシコ戦での引き分けで、「試合を買った」「よい試合ができていない」と騒ぐ声を聞く。だが、開幕戦でクロアチアのファウルが件のPK以前にかなり多かった。また、前述のメキシコ戦でオチョアにW杯史上に残る歴史的な名プレーがあったために点が取れなかったことはもっと考慮されてもいい。事実、今大会のメキシコ、クロアチア両チームの奮闘振りは世界的に評価されており、決して楽な相手ではなかったことは世間が認めるところだ。
今大会は、ブラジルと同じ中南米勢の進出が目立つ。彼らは間違いなく、ブラジルセレソンに対しても、威信をこめて捨て身で戦ってくるはずだ。そうなれば簡単な試合はそうはできない。
ブラジル民としては今後、必要以上に悲観的にならずに、セレソンを信じることが必要だろう。負けたら「弱い」、勝ったら「試合を買った」ではなく、セレソンに余計なプレッシャーをかけず、冷静な目で応援することが、セレソン優勝のための近道ではないか。
もっともセレソンは、昨年のコンフェデ杯をマニフェスタソンの混乱の中で優勝していることからも、精神的にはかなりタフな方だと思われる。
このように「ペシミスタ」にならないことが、ブラジル民がセレソンと共にW杯を楽しんでいくには大切な要素ではないか。
軽視できないぺシミスタ
だが、「ペシミスタ」の部分が必要なことも事実だ。マニフェスタソンの対策や、南米国からのフーリガン対策は、W杯の雰囲気が悪くならないようにしっかりやるべきだろう。
さらに、国政に関しては「ぺシミスタ」の声を軽視することは危険だ。この単語は、もともとはジウマ大統領がブラジルの景気観測や消費拡大がうまくいかないことを指摘する野党やマスコミに対して使ってきた言葉だった。
経済低成長やインフレ率の上昇など、うまくいかないことに対しての批判は、建設的に受け止める姿勢で行かないと10月の大統領選挙で足をすくわれかねない。(沢)