県連主催の第17回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)が4日から三日間、サンパウロ市のイミグランテス展示場で開催される。各県自慢の逸品が集まる郷土物産展に、長野県人会(高田アルマンド隆男会長)は毎年「野沢菜漬け」を提供してきた。しかし、それを主導してきた北澤重喜さんが3月に逝去し、今年は中止かと思われた。ところが彼の思いを継いだ家族らの奮起で先月30日に約400キロ、800袋分の漬け込み作業がビリチバ・ミリン市の北澤農場で行われ、無事販売の準備が整った。
「日本の文化を続けたい気持ちが心の底にあった」と語るのは、重喜さんの長男マリオさん(51、二世)だ。高田会長から野沢菜漬けの協力を頼まれたのは、父重喜さんが亡くなってすぐのことだった。
マリオさんは「母や弟は野沢菜漬けをほぼ諦めていた。でも自分はやらなくてはいけないと思い承諾した」と当時の心境を語る。家族に相談したらダメだといわれるのではと考え、独断で野沢菜作りを請け負った形だ。
兄妹と共に経営する農業会社の業務を調整し、栽培と収穫を会社で行えるように、まず外堀を埋めた。その上で「大変な作業はこちらでやるから協力してほしい」と家族に頼んだ。
母アキエさん(85、北海道)は、夫が亡くなったことと肩と腰の痛みから、今年の野沢菜漬けを諦めていた。でもマリオさんの堅い意志を聞き、驚きながらも「やると言うならやればいいよ」と言った。言葉こそそっけないが、その時のことを語る姿はとても嬉しそう。作業当日も張り切って漬け込みの塩梅を指示していた。
最後まで反対したのは弟アウグストさん(44、二世)だった。「父とは同居していたけど、あまりも話をしていなかった」と当時を語る。しかし、アキエさんから強い説得を受け、「母のために、父が大切にしていたものを受け継いであげたい」と思い直した。現在はむしろ、最も積極的に作業を手伝い、マリオさんを驚かせている。
サンパウロ市から作業を手伝うため同県人会員10人と共に参加した新井均元会長(79、長野)は、「重喜さんには素材から手作りするこだわりがあった。北澤家の協力が無ければ野沢菜漬けを出品する事は出来なかった」と感謝し、「県人会の協力者が高齢化する中、重喜さん本人も野沢菜漬けの継続を半分諦めていた」と振り返った。
マリオさんは「若い頃にはわからなかったが、日本文化を継承する事は大切な事。来年もぜひやりましょう」と協力を約束すると、新世代誕生に県人から拍手が起きた。
二日ほど塩漬けにして水分を絞り、少々の砂糖やピンガなどで味をつけ、日本祭りのバンカに並ぶ。マリオさんは「今年は柔らかさを重視して早めに収穫しました。味付けも秘伝のレシピで行います。来場した際はぜひ」と自慢の一品をアピール。来場の際は、家族の絆が繋いだ郷土の味を楽しんでみてはいかがか。