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ディ・ステファノ死す=アルゼンチンの伝説的選手=「史上最高」とペレも絶賛

現役時代のディ・ステファノ(ウィキペディアより)

現役時代のディ・ステファノ(ウィキペディアより)

 ペレと並び、「史上最高のサッカー選手」と称されることも多いアルゼンチンが生んだ名選手アルフレッド・ディ・ステファノが7日、スペインのマドリッドの病院で死去した。88歳だった。8日付伯字紙が報じた。
 ディ・ステファノは1926年にアルゼンチンはブエノスアイレスで生まれ、10代の頃は飛行士を目指していたが、地元の名門クラブ、リーベル・プレートにその才能を見つけられ、15歳でユースチームに入った。
 17歳でプロ契約し、リーベル・プレートとウラカンの二つのクラブで活躍。47年にはアルゼンチン代表にも選出された。ディ・ステファノは49年にコロンビアの名門チーム、ミジョナリオスに移籍。51、52年にチームの国内リーグ2連覇と得点王に輝く成績をあげたことでコロンビア・サッカー連盟に請われて同国籍を取得し同国代表にも参加した。
 52年のスペイン遠征後、スペイン・リーグのレアル・マドリッドとバルセロナが熾烈な獲得合戦を繰り広げ、彼は53年にレアルと契約。この件は、今日まで続く世界のサッカー界名門2チームのライバル関係を決定付けたとされている。
 ディ・ステファノはレアル在籍期間中に8度の国内リーグ制覇、5度の得点王に輝いた。55年にはじまった欧州チャンピオンズ・カップ(後にチャンピオンズ・リーグに改名)では、第1回大会からチームを5年続けて欧州一に導いた。56年にはスペイン国籍を取得し、57年に同国代表デビューを果たした。
 ディ・ステファノは攻撃の要ながら、守備や戦術の組み立てにも長け、両足を自由に使いヘディングも強いという万能選手で、その才能はペレも「サッカー史上最高の選手は私でもマラドーナでもなくディ・ステファノだ」と認めるほどだ。
 だが、これほどの選手でありながら、ディ・ステファノはワールドカップには縁がなく、未出場に終わった。予選にはアルゼンチン、コロンビア、スペインの3チームの代表で参加したが、これらの国の代表チームが今日のように強くなる前のことだった。
 ディ・ステファノは64年にレアルを退団し、バルセロナを経た後の移籍先のエスパニョールで66年に現役を終えた。その後は90年代前半までアルゼンチンやスペインのクラブで監督をつとめたが、現役時代ほどの成功は得られなかった。
 私生活では、気難しく他人との交遊が少ないことでも知られており、それが彼の神秘性を高めることにもなっていた。
 ディ・ステファノは88回目の誕生日の翌日の今月5日に心臓病で倒れ、入院していた。