8日のW杯準決勝ブラジル対ドイツ戦は1対7での大敗で、9日付伯字紙の第1面は皆その記事で埋まった。エスタード紙は「自国での屈辱」、フォーリャ紙は「ブラジル代表、史上最悪の敗北を喫す」、アゴーラ紙はドイツ名産のソーセージと引っ掛け「サウシシャッソ」と書いた後、「ブラジル代表、100年の歴史で最大の屈辱を味わう」と結んでいる。
試合前に点を当てあうボロンでも、W杯103試合目の対ドイツ戦がこれほどの大差での敗北となると予想した人は1人だけだったという。過去のW杯でブラジル代表が許した得点は1938年の対ポーランド戦の5点が最高だが、この試合はブラジルが6点を入れて勝利。1954年大会の対ハンガリー戦の4点がそれに続くが、最悪の形で破れた試合は0対3の3点差だった1998年決勝の対フランス戦だから、7点を許して6点差での敗北というのは間違いなく、史上最悪の結果だ。
しかも、W杯で7点以上の大量得点を許したのは、1982年のハンガリー対エルサルバドル(10対1)や、1954年のハンガリー対韓国と1974年ユーゴスラビア対コンゴの9対0など、出場経験の乏しい国で、優勝経験国が7点取られたのも初めてだ。
8日の試合中継や9日の新聞は、頭を抱え込んだり涙を流したりするサポーターの顔、顔、顔で埋まり、ある意味で国中が悲しみに包まれた。
自国開催だった1950年大会決勝の「マラカナッソ(マラカナンの悲劇)」を知る人達は今回の敗戦を「ミネイラッソ」と呼び、「あの時よりも酷い屈辱だ」と述べている。小さな子供まで「ウミリャッソン(恥、屈辱)」と答える中、ドイツの選手がブラジル選手や国民に「誇りを失うな」とのメッセージを送っているのが胸に響く。
容易に1点目を許した事でにわか作りのフォーメーションが機能しない事に気づき、自分達ではネイマールやチアーゴ・シウヴァの穴を埋められないとの思いがよぎったのか、心の糸が切れたように、2点目以降、立て続けに4点を許した時点で「終わった」と思った人も多かった。
頼みの綱のネイマールを欠き、最後の最後にオスカールの1点を返すので精一杯だった試合後は傷口に塩を塗りこむような批判も噴出したが、これらの批判は選手や監督を傷つける事はあっても慰めはしない。
自国開催の重圧と、攻撃や守りの主軸だったネイマールとチアーゴ・シウヴァを欠く中、1990年以来、優勝を目標にチームを作り上げてきたドイツを倒せる策を練るのは、優勝監督としての腕を買われ、ロンドン五輪後に指揮を執り始めたフェリポン監督にも正直言って無理だったはずだ。ドイツは監督の補佐役だった人物を次の監督に据え、一つのヴィジョンを受け継いできたが、ブラジルは監督の首を挿げ替え、選手を入れ替えれば解決するかのごとき錯覚を持っているようだ。
マノ・メネゼス前監督は今W杯を念頭に選手を育てるつもりだったはずだが、ロンドン五輪で優勝出来ずに解任された。フェリポン監督は前任者が育ててきた駒と既存の駒を使ってW杯に臨んだが、2年間では精神的な柱となる人物を複数育てる事は無理だったのかとまで考えてしまう。
昨年のコンフェデ杯優勝後は敗北を味わってこなかった事もタフさを欠く原因となったかもしれない。それともブラジルの選手にハングリー精神がなくなってきたのか。
20歳以下の世界大会優勝時の選手はオスカールだけで、若い駒を国内で充分に育てず、すぐに国外に放出してしまう事も、ゲームメーキングの出来る選手不在という欠陥を生んだのだろうか。芸術的なサッカーが売り物だったブラジルが試合を組み立てられないまま脆くも崩れた事に危機感を感じた人は多いはずだ。
前半の段階でパニックを起こし、糸が切れた凧のようになす術もなく立ち尽くす選手達の姿を見た後、サッカーの試合はW杯以外ほとんど見ない主人の「もう一回やり直せない?」との言葉に、「やり直せない。3位決定戦はあるけど、優勝はもうありえない」と答えるのは辛かった。
9日付エスタード紙は代表チームから抜けるはずの選手と、残るであろう選手のリストも掲載した。南アフリカ大会と今大会は、記事を書いたりする立場で見てきただけに、目前の戦績に左右されず、長期的な展望の下で選手を育成する体制やそのための指導者の発掘と育成をと改めて思う。
前大会で苦汁をなめたジュリオ・セーザルは、6月28日の対チリ戦でのPK戦で面目躍如の後の大敗に、「自分のミスで1対0で負けた方がずっと楽だった」と心中を吐露。若い選手達の慰め役に回り、「22~24歳といった若い選手には今後があるのだから」という姿に、苦しみが人を大きくするとの言葉も思い出した。 (み)