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サンパウロ市軍警一家殺人事件=謎のフェイスブックが浮上=遺族が再捜査の訴え

 昨年8月にサンパウロ市で起きた軍警一家殺人事件は13歳(当時)の長男による犯行と結論づけられていたが、殺害された巡回機動隊のルイス・マルセロ・ペッセジーニ軍曹をめぐる謎の追悼フェイスブックの存在を証拠に遺族が捜査の再開を求めている。14~15日付伯字紙が報じている。
 この事件は2013年8月5日、サンパウロ市北部ブラジランジアで、ペッセジーニ軍曹と妻で軍警第18部隊歩兵中隊長のアンドレイアさん、息子のマルセリーノ君、アンドレイアさんの母親とその妹の5人がペッセジーニ軍曹の自宅で遺体となって発見されたものだ。
 当時の市警は、マルセロ君の遺体のかたわらに拳銃があったこと、5日は学校に通っていたこと、日頃の不可解な言動から、マルセロ君が未明に4人を殺した後に学校に通い、学校から帰宅後に自ら銃で自殺したと結論づけていた。
 だが、子供の仕業とは思えない暗殺のプロ並の殺しの手口などの不審点は早くからあげられており、「軍警絡みの他殺説」が囁かれてもいた。だが、捜査は今年5月で打ち切られていた。
 現在、ペッセジーニ軍曹の両親らは、あるペッセジーニ軍曹のフェイスブック追悼ページを証拠に、市警による推論の矛盾を訴え、捜査の再開を求めている。
 そのページは13年8月5日の16時48分に開設されている。これは同軍曹一家が遺体で発見される約1時間前のことだ。マルセリーノ君の推定死亡時刻は14時30分以前とされており、同軍曹宅のコンピューターが最後に使われたのも前日4日の18時3分だ。
 同軍曹一家の写真は家族全員が遺体となって発見された後の5日20時50分から21時34分に掲載されており、同年8月17日までページが更新されていた。
 遺族は「真犯人がこのページを作った」として、検察局に捜査再開を求めている。