こんにちは。編集部ブログ、今日の担当は<翻訳担当その2>です。
僕の仕事は、ブラジルでの新聞記事を紙面用に翻訳する仕事で、かれこれこの作業を2年半ほどやっています。日本から来ているのでポルトガル語を本格的に学びはじめて4年になるのですが、この作業のおかげで大概のことは理解できるようになりました。「ブラジル人が普段何を考え、どんなものを楽しみながら日々を生活しているのか」が、日本人の勝手な推測でない形で把握しながら生活できるので、すごくためになっています。
特にこちらの新聞は、通常の面だけで30ページ近くある上に、そこにプラスして社会、経済、文化、スポーツがそれぞれ10ページ前後あって読みきれないくらいあるので情報が豊富です。
その意味で、先日まで行なわれたワールドカップは、これまで考えなかったようなことまで、裏から考えながら見ることができたので、これまでになく楽しいものになりました。
ただ、試合そのものだけでなく、開催前、国民が現政権のどういうところに不満で反対を表し、またルーラ政権以降の現在の政権が、どういう目的でワールドカップをやろうとしていたか――などが、大会そのものがはじまる数年前から見えたのは、単なるサッカーの試合を見る領域を超えた社会のダイナミズムが感じられました。
ただ、聞きたくないものも聞こえるようにもなりましたが。こういう生活の延長で、ネットでの一般市民の書き込みなども習慣的に見るようになったのです。その過程で、セレソンが政府や反対派の人たちの板ばさみにあって、怒れる人たちから「こんなワールドカップは最初から八百長で買われているんだ」などと、コンフェデ杯の後以降、延々と言われるのを目の当たりにし続けたりしたのは、正直気分の良いものではなかったですけどね。
「快勝しようが辛勝しようが、試合のたびにこんなこと言う人が必ず少なからずいる。こんな状況、自分だったら絶対耐えられんな」と思い、セレソンがだいぶ前からかわいそうに見えていました。だから、あの準決勝の惨敗があったときも、「ああ、とうとう切れちゃったか」とも思って不思議ではなかったです。こんな見方も、こういう仕事をしていなかったら生まれなかったでしょうね。
そして今は、早くも4年後をにらんで、こちらブラジルでは18年W杯の大会でのセレソン予想の記事などが組まれはじめています。個人的にサッカーは専門ではないので、わからないところも多いのですが、スポーツ系の記事が出してくる、定員の23人の3倍以上はいると思われる膨大な候補を見ると、「これは一体誰だろう」と思い、調べてみようかという欲求が高まります。
実際、「アンダー10」「アンダー17」の10代のメンバーも多く、国内リーグや、あまり一般知名度の高くない国のリーグの選手までかなりの数がいるものですが、それでもその記事のコメント欄に「おい、あいつがいないけどどうした」「こいつも忘れてるぞ」と書き込まれているのを見ると、「この国のサッカー熱はさすがだな」と思って感心させられます。
ひとつの国、ひとつの言語を知ることで、いろんな意味での「世界」が深められるというのは楽しく刺激的なことです。