フリージャーナリストの外山脩さんから先日、「1960年代中頃に来てサンパウロ新聞で記者を始めた時、『あと10年で邦字紙は無くなる』とみんなから言われ、10年働いて辞めた。ところが、それから50年経った今も二紙が続いているじゃないか。コロニア七不思議の一つだ」と言われた▼思えばコラム子がパ紙で働き始めた92年にも同じようなことを言われた。その頃から実際に亜国で一紙、米国サンフランシスコで二紙が休刊となった。今世紀に入った頃も大方の人は「良く続いて百周年まで」と予測をしていた。でも08年から6年が過ぎた今も続いている▼邦字紙存続に謎はない。読者の皆さんが長生きして読み続けてくれているからだ。一定数の購読者がいる限りは続くし、それを割れば存続は難しい。日本語書店しかり、一世に依存した団体はみな一緒だ。多くの県人会もそうだろう。いわば運命共同体だ▼もう一つ外山さんに言われた言葉で考えさせられたのは、「『すぐに無くなる』と言われた邦字紙が生き残ったのに、誰もが絶対に続くと思ったコチア、南伯、南銀はなくなった。これこそが本当に謎だ。この上、邦字紙まで無くなればコロニア自体が無くなるに違いない」というものだった▼邦字紙があるからポ語が不得意でもブラジル情勢を理解し、昔の知り合いの近況を知り、日系社会の話題を共有でき、友人らと「同じ時代を生きている」「同じコミュニティに属している」というコロニア感覚が生まれる。外山さんが言う通り、紙面が無くなった瞬間にバラバラになってしまうかも…▼後世に残すべきニュースを求めて今日も記者は飛び回っている。(深)