ブラジルを代表する劇作家のアリアーノ・スアッスーナ氏が23日、入院先のペルナンブッコ州レシフェの病院で脳内出血に伴う頭蓋内圧上昇による心停止で死去した。87歳だった。24日付伯字紙が報じている。
スアッスーナ氏は1927年、パライバ州パライバ市(現在のジョアン・ペッソア市)で当時の同州知事ジョアン・スアッスーナ氏の8番目の子供として生まれた。父親は翌年、知事職を離れたが、1930年10月に起きたクーデターに伴う動乱で暗殺された。
3歳で父親を失うという経験がスアッスーナ氏の内面に大きな影響を及ぼしたことは、1990年に文学アカデミーの会員に選ばれた際の「自身の行動や作品によって父親の死に対する抗議の意を表そうとした」との発言からも明らかだ。
1942年からはレシフェに移り住み、法学部入学後に出会った学友とともに学生劇団を結成。1947年、初の戯曲となる「ウマ・ムリェール・ヴェスチード・ド・ソル」を書いた。
50年代には法律関係の仕事やペルナンブッコ連邦大学の教授の仕事をこなしながら劇作家として活躍。その後にスアッスーナ氏の代表作となる「オ・アウト・ダ・コンパデシーダ」(55年)もこの時期の作品だ。この作品は過去4度、映画やTVドラマ化された。最近では2000年に人気俳優セルトン・メロが主演して大ヒットした。主役のジョアン・グリロとシコは、ブラジルを代表する物語キャラクターとしておなじみの存在だ。
スアッスーナ氏はこの頃からブラジルを代表する劇作家となっていたが、小説家、詩人としても評価が高い。中でも1971年に発表し、自身が「生涯の最高傑作」と認める小説「オ・ロマンセ・ダ・ペードラ・ド・レイノ」は、セルバンテスの「ドン・キホーテ」やダンテの「神曲」などと比較されるほど、賞賛を得ている。
スアッスーナ氏の作品は、北東伯での神秘的な風習や暮らし、宗教などを一貫して描き続けている。それは「アルモリアル運動」と呼ばれる、音楽、舞踊、演劇、絵画などあらゆるものを含む北東伯芸術全般を促進する流れにもつながり、90年代にレシフェで起こり、世界的にも注目された音楽の「マンギ・ビート」にも強い影響を与えている。
スアッスーナ氏の死に際しては、政治界、文学界などから多くの弔辞が寄せられている。中でも前ペルナンブッコ州知事で10月の大統領候補のエドゥアルド・カンポス氏は、「アリアーノは私たちの父、祖父、友人、仲間、そして人生の手本だった」と死を悼んだ。