松原安太郎の三男の妻・松原祐子さんには、実はなかなかう約束ができなかった。連絡先を入手してから何度も電話したが、「もうすぐ旅行する」「最近バタバタだから」などと毎回断られた。半年ほど経ち、「来週クイアバに行く」と言ったら住所を教えてくれ、ようやく会えた。ポ語、しかも電話で意図がよく伝わらず、不審に思われていたのかも―と少し緊張したが、会った瞬間に杞憂だったと分かった▼取材はものの1時間だったが「(安太郎氏は)松原家の誇り」と嬉しそうに話した。松原がヴァルガスの選挙資金を援助していたかを尋ねると、「それはあまり公にされたくないんだけどね」と言葉を濁した。家族の中では良い話として語られているわけではないようだ。しかし祐子さんの話からすれば、その事実はあったものの、コロニアでよく言われる「金銭のやり取りで生まれた友情」ではなかった▼〃毀誉褒貶のあった人物〃というのはおそらく嘘ではなかっただろう。同じ夢を持った妻と永住目的で当地に渡り、一介のコロノから20年で大農場主になった。よほどの強い行動力や意志があったに違いないが、美談だけでは終わらない話もあっただろう▼しかも、ブラジル近代史上最も重要といわれ、没後60年経った今でも存在感を残す元大統領と個人的に親しくなった。そんな日本移民がいたというだけで驚きだ▼10年前に亡くなった三男の義和さんは、父の遺品の管理を怠らなかったという。祐子さんは「大統領から松原に送った招待状が残っている」と言って探してくれたが、取材日までに見つからなかった。もし見つかれば、文字で残る貴重な友情の記録だった。(詩)