企業や政府機関の不祥事が起きたとき、日本では深々と頭を下げる幹部の姿が大々的に報道される。日本ではごく普通だが、ブラジルではまずあり得ない。メンサロン事件で断罪されながら、拳を突き上げて正当性を主張しつつ出頭する〃カーラ・デ・パウ〃な被告すらいる。どちらも極端だ▼発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が自殺し、理化学研究所は「関係者の精神的負担に伴う不測の事態を防がねばならない。静寂な環境を与えていただくことを切にお願いする」との声明を出した。これが誰に対するお願いで、誰が死に追い込んだのか、よく分からない。マスコミと世間に違いないが、誰も罪には問われない▼ウィキペディアの「国の自殺率順リスト」では日本は12位、ブラジルは76位だった。ブラジルでも当然自殺者がゼロではないが、疑惑をかけられた面の皮の厚い政治家が自分を正当化している場面は毎日のように観ても、有名人や不祥事を起こした人の自殺のニュースは極端に少ない。なぜこの違いが起こるのか▼当地に住んで通算4年を超えるが、かつてうつ状態だったという知人は少なくない。だから「ラテン気質で明るいブラジル人は悩まないから自殺者も少ない」ではないだろう。日本の自殺要因の4割は健康問題だという話も聞くので、国民性だけが全てではないはずだ。自殺の要因は各個人というよりは〃社会〃にある気がする▼日本社会が個人に与える圧力は異常に高いが、多様性が高いブラジルではそれがゼロではないにしても小さいと日々の生活で感じる。ブラジルでは世間が個人を死ぬまで追い込むことはない。その違いが意味するものは大きい。(詩)