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大統領候補=カンポス氏が飛行機墜落死=同乗の7人全員が死亡=祖父アラエス氏の命日に=第3勢力として高い期待も

 10月の大統領選挙にブラジル社会党(PSB)から出馬していたエドゥアルド・カンポス氏が13日午前、搭乗していたセスナ機がサンパウロ州サントスで墜落して死去した。49歳だった。13日付伯字紙サイトが報じている。

 カンポス氏を乗せたセスナ機の560XLシタシオン号は、13日午前9時30分にリオのサントス・ドゥモン空港を飛び立った。目的地はサンパウロ州海岸部のグアルジャーで、副候補のマリーナ・シウヴァ氏とサントスで予定が入っていた。
 その20分後の9時50分、管制塔にセスナ機のパイロットから「上空が曇っていて視界がきかない」との情報が入ったが、その後、連絡が途絶えた。PSBサンパウロ支部長のマルシオ・フランサ氏が10時の到着を見据え、グアルジャーの空軍基地に出迎えていたが、連絡が途絶えたため、その後1時間ほど、飛行機がどこに行ってしまったのかをめぐり、党員やジャーナリスト、航空関係者に絶え間なく電話をかけていたという。
 セスナ機は午前10時頃、サントスのボケイロン地区のヴァイーア・デ・アブレウ通りとアレッシャンドレ・エルクラーノ通りの角にある民家に墜落した。この墜落で3軒の民家に被害が出た。この際、セスナ機が墜落し少なくとも7人が負傷との報道はあったが、その後もしばらくは「2人が死亡」との情報しか流れていなかった。
 だが、その約2時間後から、そのセスナ機にカンポス氏が搭乗していたという情報が流れ、昼の12時40分頃には同氏が死亡との報道に切り替わった。セスナ機には生存者はなく、操縦士のジェラウド・ダ・クーニャさんやカンポス氏の側近、カメラマンら、7人全員が死亡した。
 奇しくもこの日はカンポス氏の祖父で、同氏と同様にペルナンブッコ州の知事だったミゲル・アラエス氏の命日でもあった。カンポス氏は21歳の頃から政界入りし、95年に連邦下議に初当選した。04年からはルーラ政権下で科学技術相をつとめ、07年からはペルナンブッコ州知事を2期つとめた。
 今回の大統領選では、20年近く続いている労働者党(PT)と民主社会党(PSDB)の「2大政党時代」を終わらせることを公約に掲げて立候補。副候補に、前回の大統領選3位で、新党結成が認められなかったマリーナ・シウヴァ氏を副候補に迎えたことでも話題を呼んだ。大統領選の予想アンケートでは3番手で10%前後の支持率を得ており、北東伯以外での知名度が高くなかったことから「最も伸び代が期待される候補」と言われていた。
 カンポス氏死去の報道を受け、ジウマ大統領(PT)や対立候補一番手のアエシオ・ネーヴェス氏(PSDB)らは、13日に入っていた予定を全てキャンセルした。
 また、事故当時サンパウロ市にいたマリーナ氏は事故の知らせを受けてサントスに向かったが、午後2時10分現在、動向の状況が入っていない。PSBは10日以内に新しい候補を選ぶことが出来る。