ブラジルの文化史研究で知られる歴史学者のニコラウ・セフチェンコ氏(61)が13日、サンパウロ市東部の自宅で急死した。14日付フォーリャ紙が報じている。
セフチェンコ氏は13日夜、サンパウロ市ベレンの自宅で倒れているところを妻のクリスチーナさんに発見され、サンタヴィルジニア病院に運ばれたが、到着前に息を引き取った。担当医は心臓発作ではないかと見ている。
セフチェンコ氏は1952年にサンパウロ州海岸部サンヴィセンテで生まれた。同氏の祖父母は1917年のロシア革命の際のウクライナからの亡命移民で、その事実が同氏に歴史への興味を持たせる契機となった。
1975年にサンパウロ総合大学(USP)哲学文学人文科学部を卒業したセフチェンコ氏は、それ以降はブラジルの文化とサンパウロ市やリオなどの都市の発展に関する研究などに徹した。同氏はUSPのみならずロンドンでも博士号を取り、ロンドンでは英国の世界的歴史学者エリック・ホブスボーン氏と同じ研究室にいた。
1983年には「ア・レヴォルタ・ダ・ヴァッシーナ」、85年も「リテラトゥーラ・コモ・ミッソン」などの代表的な著書を発表。92年には「オルフェウ・エスタチコ・ナ・メトロポレ」が認められてUSP正教授となり、サンパウロ市のカトリック総合大学(PUC―SP)やカンピーナス総合大学(Unicamp)でも教鞭をとった。
また、米国の名門ハーヴァード大学でも、19世紀から20世紀にかけての文化と都市化の歴史について教えていた。
同氏の授業は歴史的事実を映画やロックなどの引用も使ってわかりやすく説明するもので、学生の人気も高かった。
同氏の急死に関し、フォーリャ紙は「ブラジルでもっとも尊敬され、万能家タイプの歴史学者を失った」と記している。