犯罪教唆、暴力な犯罪集団の組織、不服従。この三つの罪が晴れていない原野秀樹さんの裁判はこれからも続くが、あったことを証明するより、「無かったことを証明する」方が難しいことは想像できる。記者会見で彼は「これからが戦い」と表情を引き締めていたが、釈放はゴールではなく、むしろスタートだ▼彼が参加した6月23日夜のマニフェスタソンは平和的に終わった。犯罪行為はなかったはずなのに、一体なぜこれらの罪で訴えられたのか。新聞で警察側の主張を読んでもおかしいし、〃一般人〃にはよくわからない▼デモに参加した後、駅の改札を抜けようとしていたときに爆発物の音が聞こえ、上に上がったらいきなり腕をつかまれた。何もしていなくても、突然そんなことをされたら誰でも抵抗する。良からぬことが起きると咄嗟に判断し、証拠を残そうと「(自分の)映像を撮って!」と周りの人に言うのも正当防衛だ▼警察に連行され、押収された鞄から見たこともない飲料の容器を「これを発見した」と見せられ、それを爆発物所持の証拠にされ40日以上も拘留された。考えただけで恐ろしい。ある日突然、市民の日常を破壊する―それを〃正義〃とする政治や権力とは何なのか▼記者会見の会場に行くとすぐにコラム子を認識し、笑顔で挨拶してくれた。話をしながら「なぜこんな攻撃性のない、人のよさそうな活動家をターゲットにしたのか」と首を傾げたくなった。原野さんの弁護士は「再び政治犯を弁護している気持ちでいる」とインタビューで話していた。「独裁政権の再来」というアドリアノ・ジオゴ州議の話も、あながち嘘ではないのかも。(詩)