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民衆の声を現すのはデモか支持率か

 本格的な選挙キャンペーンが始まり、普段テレビを観る時間帯は常に政見放送が流れるようになった。観ていて面白いものではないが、国際指名手配されているはずのマルフ元サンパウロ市長も堂々と登場するのには驚く。いつまでも平然と政界に居座っている彼自身の神経の図太さはもちろん、それを許す社会の〃懐の広さ〃にも。昨年6月の「抗議の波」に参加した人々は、この政見放送をどのような思いで眺めているのか▼民衆のデモと実際の支持率は矛盾している気がする。当時頻発したデモでは知事の名前をあげて批判し、「Fora Alquimin」コールが響いていたが、結局、現時点で最有力候補だ。交替してほしいのではなかったのか―と首を傾げたくなる▼先週のTVクルトゥーラのインタビュー番組にダッタフォーリャの理事長が出演した。記者が「民衆は変化を求めながらなぜ現職に投票するのか。逆説的だ」とコメントすると、「大統領選の方がどうしても注目されがち。ただでさえ政治家への不信感が強い。州知事選挙となると関心がより下がり、現職が選ばれる傾向がある」との分析をした。民衆は政治に関心があるのか、ないのか。それとも「抗議の波」参加者は少数派で、支持率調査に現れない程度の数しかいないのか。デモはただの「お祭り騒ぎ」だったか▼大事なのは、抗議行動の時には「具体的な目標」を主張しないと何も実現しないということだ。「アルキミン降りろ」と叫ぶのはいいが、それだけでは変わらない。応援するに足る人物を押し上げ、あるべき政策を示さないと、いくら現職知事を辞任だけを求めても意味はない。民衆の声はどれだけ反映されるか。(詩)