本土の人間の場合は、時間とともに希薄になりがちな県人同士の絆だが、沖縄県系イベントに行くと強烈なそれが今も存在していると感じる。ユダヤ民族のように、差別や抑圧を受けた歴史的経緯を持つ集団ほど、移住後も内部に強い求心力が続くのだろうか▼先日、サンパウロ市ガゼッタ劇場であった「国立劇場おきなわ」公演は、当地に住む県系人の特殊性がひときわ目立つ公演だった。挨拶から唄、喜劇にいたるまで、台詞の全てがうちなー口で話されたにも関わらず、会場は生き生きと反応し、何度も大爆笑が沸き起こった。本土出身のコラム子には、喜劇は身振り手振りで部分的には理解できても物語の流れがつかめなかった。異国の舞台で言葉がわからず、取り残された〃外国人〃のような気分だった▼家庭内の会話で使う程度のうちなー口しか理解できない県系子孫が多いらしいが、会場の熱気と盛り上がりは、舞台構成を担当した嘉数道彦さんをして、「沖縄以上の反応だった」と言わしめた。コロニアでも「沖縄の人には入り込めない壁がある気がする」と時々耳にするが、その一つは、こうした文化の特殊性にあるのだろう▼嘉数さんはまた、「(県人会の交流でも)地元の人間ということでかなり食いついてきて、その姿勢にまた学ばされた」と当地でも沖縄芸能の力を実感したよう。県系人のアイデンティティの源は、今も分かちがたく母県に結びついているようだ▼こうした唯一無二な文化が沖縄を、他県出身者にとって一層憧れの的、エキゾチックな場所にしている。「外国から見た日本もこんな風に見えるのかも」―会場の笑いから取り残されながら、ふと、そう思った。(阿)