1954年9月30日付パ紙では、松原の資金が反ヴァルガス派議員から《一部が人殺し謝礼金として使われていることは明らかな事実である》とまで書かれた。そこに、松原側からの反論のコメントはない。
後世からみると、これは少々行き過ぎだった可能性がある。松原は共犯者として逮捕拘留された様子はないからだ。結果的にただの〃疑い〃に過ぎなかった。でも松原本人は大いに動揺し、気を病んだに違いない。
斉藤広志が《反バルガス派はあらゆる情報網を動員して醜聞のネタ探しに懸命であったし、その結果は誇大に報道された》(『ブラジルの政治』131頁)と書いたことが現実に起きた。
おまけに祖国日本でも有名評論家によって、まことしやかに悪評がばら撒かれた。
54年8月27日に来伯した日本の評論家、大宅壮一は9月末まで帯伯し、松原安太郎にも取材し『世界の裏街道を行く 南北アメリカ編』(1956年、大宅、文藝春秋社)の31~32頁で次のように書いている。
《~日本と関係が深いのは、ロベルト・アルベスという男で、彼は前にヴァルガス家の皿洗いや、風呂番をしていた。一九四五年のクーデターで追われたヴァルガスが、孤立無援の状態にあったときに、その再挙を図って地下運動をつづけてきた。アルべスは以前松原安太郎という日本人に使われていたこともあり、その縁故でヴァルガスのために援助を求めた。そこで松原は日本円にして四百万円ばかりを出した。これがものをいってヴァルガスがふたたび政権の座につくと共に、松原の希望をいれて、日本移民四千家族をブラジルに入れるワクを与え、わざわざ軍用機まで出して、日本移民を入れるのによさそうな土地を物色する便宜を図った》。
おそらく大宅は、長年ヴァルガスの私設秘書を務めたロベルト・アルヴェスと、アルキメデスを混同している。
『志村啓夫文書2012』284頁)によれば、松原とアルヴェスの関係は《マットグロッソ州出身の議員ロベルト・アルベス氏の協力を得て二〇万ヘクタールの払い下げを獲得して、マットグロッソ州リオフェーロ開発事業を起こした》という処から関係から始まっている。
同文書は、そのアルヴェスが1954年に予定されていた上院議員選挙に出馬すると聞いた松原は、リオ・フェーロの件で世話になったから、《松原は土地払い下げの協力のお礼として、ロベルト氏の選挙費費用に金一封を用意してリオに行った。何時もよく会うロベルト氏は旅行中で不在だった。そこで松原は大統領の用心棒のグレゴリオに会い、理由を説明し、「ロベルト氏が見えたら渡してほしい」と一封を依頼した》(同文書287頁)とある。
その直後のトネレイロス事件が起き、《暗殺隊の隊長はグレゴリオで、ピストレイロ三名によって暗殺が行われたことが発覚。しかも暗殺隊員への報奨金は、松原から預かっていた金が流用されていた事が明るみに出た》(同文書287頁)とある。
パ紙記事と読み比べると、だいぶ異なった印象を受けないだろうか。
さらに《八月二四日、リオからの急報で、ゼツリオ大統領自殺の報に接した松原は、余りの衝撃に受話器の前で失神して倒れた。医者の診断で脳溢血と判明し、一時半身不随の身となり、耕地に蟄居して養生に勤めた》(同文書287頁)という一移民と大統領の関係を如実に示す逸話が記されている。
同文書の最後には「取材協力者へのお礼」として筆頭に「在マ州クイアバ市松原義和様」と書かれており、遠縁にあたる志村啓夫が執筆したものだけに、最も家族側の証言を忠実に再現していると推測される。(田中詩穂記者、深沢正雪記者補足、つづく)
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