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 1985年頃から列聖申請が始まった中村ドミンゴス長八神父は1865年に、長崎県松浦郡の隠れキリシタンの末裔として生まれた。長崎大浦神学校で学び、1897年に司祭になった。多くの隠れキリシタンの子孫がカトリック大国ブラジルへ移住したが、ポ語でのミサが難しく、日本語で司祭できる神父を望んでいた。そのため、ローマ教皇庁布教省は布教師を募集したが、希望者がおらず、高齢ゆえに最初は辞退していた中村神父(当時58歳)が赴くことになった。「日本初の海外布教使」として当地に渡り、日系人への伝道の旅に全身全霊を捧げ、アルヴァレス・マッシャードで1940年3月3月14日に74歳で亡くなった。その功績に対し、1938年に、ピオ11世法王よりグレゴリオ大褒章が贈られた。
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 ドナ・マルガリーダに関する思い出、逸話、中でも不思議な出来事や奇跡かもと思われるような話あれば、ぜひ編集部まで投稿をお願いしたい。自分自身でなく、「親からこんな話を聞いた」「知り合いからこんな体験談を聞いた」というものでも可能。適時掲載していく。同様に中村長八神父の思い出や出来事なども、どんどんお寄せ下さい。
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 菊地義治夫人のマリーザさんは、2月16日にすい臓炎が原因の多臓器不全で心肺が20分間も停止したという。奇跡的に息を吹き返した後も60日間集中治療室で治療を受けた。幸いにも後遺症は残らず、外務大臣表彰伝達式には元気な姿を見せた。「いつも人のことばかり面倒見て―と主人に不満を持つこともあったけど、入院中は毎日家族が見舞いに来てくれて、彼の家族への思いも知ることが出来た。あれからは、主人を応援したい気持ちで一杯」と笑顔で菊地さんの受賞を喜んだ。