シコ・ブアルキやゼッカ・パゴジーニョといったブラジルを代表する歌手に影響を与えたサンバ歌手のミウチーニョが7日、入院先のリオの病院で呼吸不全のために亡くなった。86歳だった。
1928年にリオで生まれたミウチーニョの本名は、ミウトン・サントス・デ・アウメイダだ。幼い頃からフランク・シナトラや20世紀前半のブラジルの人気歌手、シウヴィオ・カウダスに憧れ、独学で歌とサンバ、打楽器のパンデイロを学んだミウチーニョは、1940年代からナモラードス・ダ・ルア、アンジョス・ド・インフェルノ、クアットロ・アゼス・エ・ウン・クリンガといったグループに歌とパンデイロ演奏で参加。
1950年代にはタバジャラと呼ばれるオーケストラでクローナー(鼻にかかったような声で囁くように優しく歌うスタイルのボーカル)となり、ナイトクラブなどでも演奏。ジャウマ・フェレイラがリーダーをつとめるオーケストラ「ミリオナリオス・ド・リッチモ」の専属歌手となってからは、コパカバーナの人気ナイトクラブでも歌うようになり注目を受け始めた。
1960年にソロ歌手として最初のアルバムを発表し、現在までの代表曲である「ムリェール・ド・30」で有名となった。
1960年代前半はミウチーニョの全盛期で、サンバの「ポエマ・ド・アデウス」や、サンバとボサノバの中間の音楽にあたる〃サンバランソ〃の「パリャサーダ」、そしてボレロ調の「レンブランサス」などがヒットした。とりわけ「レンブランサス」はベネズエラで大ヒットし、そのため同国での公演も非常に多かった。
ミウチーニョは1966年から76年のあいだに当時のレコード会社大手のオデオン社から16枚のアルバムをリリースしている。
ミウチーニョの歌唱の特徴としてあげられるのは、そのリズム感に溢れた独特の歌唱法で、それは「メストレ・ド・リッチモ(リズムの師匠)」とまで呼ばれたほどだった。飾らない性格で「自分はただの陽気な年寄りだよ」と言って謙遜していたミウチーニョも「自分にひとつ特色があるとしたら、それは2テンポずらして歌えることだった」と語っている。
80歳を迎えた2008年には記念コンサートや、ドキュメンタリー映画「ノ・テンポ・デ・ミウチーニョ」も発表されている。
ミウチーニョの歌は、今なら2008年に発表された、オデオン在籍時に録音された28曲を収めた2枚組編集盤「ミウチーニョ~サンバ・エ・バランソ」がおすすめだ。(9日付フォーリャ紙、エスタード紙より)
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