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「ギリェルメ・デ・アルメイダ館」に寄せて=中田みちよ=(2)=バビー夫人との出会い

ギリェルメ・デ・アルメイダ館(写真提供=中田さん)CASA GUILHERME DE ALMEIDA11 3673-1883 | 3803-8525 : R. Macapa, 187 - Perdizes Sao Paulo

ギリェルメ・デ・アルメイダ館(写真提供=中田さん)CASA GUILHERME DE ALMEIDA11 3673-1883 | 3803-8525 : R. Macapa, 187 – Perdizes Sao Paulo

 2008年に日伯文化連盟が日本移民百周年を記念して、ギリェルメ・デ・アルメイダ賞と銘打った『論文』を募った。社会上昇を願うばかりだった日系社会も、100年を経過したのだから、文化的なものに眼を向けなければということで、パウリスタ文学院と共催でおこなわれた。
 当時の理事長が文化志向の高い人だったこともあって、一般市民の間に文学熱を高めよう、殺伐とした世相に潤いを持たせたいという趣旨のもとに開催されたものである。
 優秀な三作品が選出されて5万レアルの賞金が等分に分けられることになった。その一人が『ハイカイ人の中のロマンチスト(Um romântico entre os haicaístas)』を執筆したマリア・イザベル・バローゾ・デ・アルメイダ(Maria Izabel Barrozo Almeida)である。苗字を見れば分かるようにマリア・イザベルは、日伯文化連盟の初代会長ギリェルメ・デ・アルメイダの孫にあたる。つまり、主催者側の人間になる。うさんくさく取れないこともない。(発表時にわたしたちは苦笑いした。どんなに否定したって、ネポチズム(縁故主義)、我田引水でないか・・・と)まあ、その辺はブラジル的ということで許容範囲内としておこう。

 館内には友人知人たちから贈られた絵がかけられている。ラザル・セガル(Lazar Segall)が描いた肖像画、それからディ・カヴァルカンチ(Dei Cavalcante)やアニタ・マウファッチの絵画が壁を飾っている。スマートな女性の肖像画があちこちにある。これがバビー(Baby)と愛称された夫人である(きれいで、まるで女優さんだわ・・・少しはデフォルメされているけど・・・)

 マリア・イザベルは先の論文の中で、こんなエピソードを紹介している。
 『近代芸術週間』が開催された1922年に、リオから一通のファンレターが届いた。見知らぬ人の手紙はフランス語で書かれていた。あるときの手紙は誕生日が近いことを匂わせていた。偶然リオの新聞『ガゼッタ・デ・ノチシア』には、その日、誕生日を迎える読者の名前が掲載されていた。ギリェルメはそのなかの「ベウキス・バロゾ・ド・アマラル(Belkiss Barrozo do Amaral)」という名前になぜか惹かれた。手紙のなかにはBBAというサインがあるからだった。(この間にやり取りされた手紙は1941年に「わたしの愛の書簡集」として出版されている)。
  とうとう対面することになった。場所はその年行われた「ブラジル独立100周年展示場」のイギリス館だった。女性は弟を同行し手には花、男性は手に本。会話はあまり弾まなかった。当時、女性は会話をするようにしつけられていなかったからである。時々、日本は古臭いなどというけれど、ついこの間までブラジルも男尊女卑でけっこう古臭かった。
 わたし自身が、はじめての有給休暇でクイアバにいった62、3年ごろで、土曜日に公園を散策する『サバチーナ』を体験している。男は右回り女は左回りだったか・・・ようするに対面通行で、ぐるぐる円を作って散策しながら相手を見つける・・・男女交際が自由でなく、早い話がお見合いみたいなもので・・・庶民のチエにやたら感心したものだった。
 もっとも、ギリェルメは娘(未来の妻)がセアラー州のキッシャーダで生まれたことをすでに調べていた。父親が技師でそのころ現地で貯水池の建設に携わっていたからだ(なんだか、創作臭いなあと思いながら、こじんまりとしている家を回る。屋根裏ばかりでなく、家全体の部屋がちまちましている)。
 サンタ・クルス街にある「カーザ・デ・モデルニスタ」がやたらと広くがらんとしているのと対照的である。ロシア生まれの建築家のグレゴリ(Gregori Waechavchik)が住んでいた家が、ブラジル最初のモデルニズムの歴史遺産として博物館に指定され、一般公開されている。それと比較すると、ギリェルメ館は飾られている家財道具も手入れがゆきとどき、管理に細やかな愛情が感じられるのに、ここは公務員業務といえばいいのだろうか、すべて大雑把でなおざりである。(つづく)