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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=17

 あくる日、「簡単な仕事じゃきに、これでも手伝ってもらおうかの」と叔母の言葉に促されて温室にはいると、カーネーションの咲いたもの、咲きかけたものや、まだ硬い蕾などのこもった匂いが全身にしっとりと染みついてしまう気がした。
 カーネーションは真っ直ぐな茎に一つの花を咲かせるために、ピンポージョと呼ばれる横に出ている蕾みや芽を毟り取るが、私はその仕方を教えられ、その日も家から四百メートルほど離れた温室に行き、ピンポージョを毟り取っていた。
 事件はこの時に起こった。従兄がひとりでいる私に接近しようとしたのである。実は従兄は常に私が独りでいる時を窺っているようだったのだ。重大な事が起こる前に私が叫び、それを聞いた近くのウルグアイ人が一番近い山本家に知らせに走ったらしい、すぐに山本夫婦が来てくれた。
 「何も起きにゃいいがと思っていたけど、とうとう起きたの」
 山本夫婦が来る前に電話で知らせてあったのか、まもなく最長老である高田家の老夫人と息子さんが車を飛ばしてやって来て、こう言った。
 「事件が、流血事件でも起きたら日本人の恥じゃけん、この娘は私の家に引き取る。ユリさん荷物をまとめしゃんさい」
 私はすぐに手荷物をまとめて、高田義則さんの運転する車に乗って吉本の家を出た。叔父も叔母も従兄本人も一言も言わなかった。
 ブラジル丸に始めて私を訪ねてきた時、ひと目で従兄に感じたもの、明確にそれが何かあの時言えなかったが、いま、あえて言うならその妹の知的障害は、紅熱病のためと聞かされたが、血縁の危険さだと気づいたとでも言えるだろうか。叔父、叔母も従兄妹同士の結婚だと知ったのはウルグアイを出る前である。
 写真結婚というこのような形の結婚であっても、やはり文通をよくし合い、絆を深めなかったことも原因であったと、いま小南ミヨ子女史の手がけた「ききょう会」の花嫁たちを取材して、彼女たちの五十、六十通にもおよぶ花婿との文通を知り強く感じたことである。

 第六章 赤い靴 ③

 吉本家から高田家までは十キロ近く離れているだろうか。草原の中に続く道の距離感が、私にないので近く感じられたが、それくらいは離れているようだ。成功者の高田家は五十~六十メートルの温室が二十棟も並び、専門技師のいる花卉業の大農家で、技師は京野さんという名前だった。
 「この京野さんは、英語の読み書きが出来るので、新種のカーネションや、病気の薬や、何もかもアメリカから取り寄せて、私らを助けて成功させてくれた人よ。恩人じゃけんね、私らが死んでもゆめゆめ粗末にするな、と息子らに言っとると」と高田さんの老主人は言い、またその素性はいくら聞いても「詳しく言わん」と言いながら、
 「何やら、戦時中日本で政治犯として刑務所にやられるのを、家柄のためにむりやり国外へ出されたらしいと、そんなことを聞いた気もするが。事情のある人でない普通の移民なら、英語の読み書きば知っとることもなかね。由梨ちゃんと同じ土佐の人よ。パスポートも、どうせ偽名で日本を出たと思うでね、京野というのも本名かどうか知らん。そんなじゃけん、結婚もせんし、独立して花作りを始めても、家庭を持ってないから、守っていく責任がないでね、カジノ浸りになるわけで、すぐにスッテンテンになって、ここへ帰ってきたが、もうこの歳じゃどこへも行かんとこの家の家族とよ」