櫛山アリッセさん(68、二世)=サンパウロ市在住=は23日午後にサンパウロ州議会内で、祖父の山内健次郎さんと父の房俊さん(二人とも島根県出身)が、終戦直後にブラジル政府から人権侵害や迫害を受けたことに関し、国を相手取って謝罪(retratação=誤りを認めること)を求める申し立て文書を、州真相究明委員会のアドリアーノ・ジオゴ委員長(州議、PT)に手渡し、迅速に手続きが進むように協力を依頼した。
櫛山さんの姪・山内フェルナンダさん(23、三世)=サンパウロ州ツッパン在住=は、山内家を代表して「曽祖父と祖父、同様に扱われた170人の移民へのひどい人権侵害の歴史を見直し、彼らの尊厳を取り戻し、歴史的正当性を勝ち取るために、68年経った今、家族は力を合わせている。房俊おじいさんは死ぬまでルーツをとても大事にし、私たちにブラジルへの愛国心や祖国を良くするために戦うことの重要性を教えた」と家族としての想いを代弁した。
さらに「恥の文化を乗り越えて、ここに謝罪を申し立てることは、1940年代に起きた日本移民への人種差別や社会的不寛容、国家による暴力に対して闘った不屈の国民の歴史を救済することにつながる。ブラジル建国に貢献してきた日本移民の魂に平和をもたらす歴史見直しを申し立てたい」とのべた。
櫛山さんの祖父は勝ち組組織・臣道聯盟のツッパン支部幹部だったことで、外国人には禁止されていた政治結社活動をしていたとの罪で、父は社会政治警察(DOPS)による〃踏み絵〃(日の丸やご真影を踏ませること)を拒否したことで、1946年から約30カ月間、監獄島アンシェッタに、同様送られた日本移民約170人と共に過ごしていた。
その時の日本移民に対する迫害や人権侵害に対して、法務省アネスチア委員会に国家としての謝罪申し立てを請求するもので、実際の書類は24日に弁護士がブラジリアに届ける予定。
昨年10月に真相究明委員会のサンパウロ州委員会が「日本移民の死と拷問」公聴会を行い、その場で山内房俊さんの息子・明さんが映像で証言した経緯があり、アドリアーノ州委員長に書類一式を渡して協力を依頼した。州委員長は快く承諾し、櫛山さんの話を聞きながら涙を流した。「今件の様に賠償金請求がなく謝罪だけなら、早ければ年内にも可能かもしれない」と語り、「早急に対処するように」との署名文書をその場で作成した。
櫛山さんは「父はドップスから拷問を受けたと言っていたが、島での生活のことは話したがらなかった。生きていれば、今日のことを心の底から喜んだに違いない。山内家のことだけでなく、当時の日本移民全体が受けた迫害が謝罪されることで、あのような悲しい出来事が二度とブラジルで起きなくなることを期待したい」と語った。
この件を2年前から準備してきた奥原マリオ純さんは、「勝ち負け抗争が起きたことへの引け目から、戦争を挟んだ期間に日本移民迫害があったことも歴史から隠されて来た。来年は終戦70周年であり、歴史を見直すための重要な一歩だと思う」と肩の荷を下ろしたような表情でうなずいた。