人形の街。
別の子ども。別の女。別の男。また別の子ども。また別の女。また別の男、誰も彼も人形だ。いつもフジタ《註=藤田嗣治(つぐはる、1886―1968)東京生まれ。洋画家。第2次大戦後フランスに帰化》のように前髪をたらし、いつも小さく華奢で、いつも長い雨合羽・・・小さく、華奢で、ほそい。
カンバンに描かれた人形。板切れ、また板切れ。青い大きなトタンはひらがながていねいに書かれた掛け物。白く縦書き。どの字も寺院の門、鳥居に似ている。扇や灯篭や屏風は絵葉書や映画ですでに世界的に知られているものだ。
下方にはポルトガル語の訳がつけられている(何のために? だれに説明するのに?)小さな文字には、KKやYYやNNがおおい。「家庭的な下宿」「歯医者」「日本品」「床屋」。特に「家庭的な下宿屋」の看板が多い。
レストラン。ドイツの絵がぼやけたような淡い青にぬられている。仕切り板の松材には白いニスが塗られ、すべて清潔で、大きな画用紙に献立。それがまるで絵のように壁にかけられている。
「何ができるんですか」
日本娘はまじめに、正直に、距離をおいて、彼女に負けないぐらい日本的な図柄の暖簾の中から、そっけなく答える。
「ガイジン、タベモノ、ナイ」
大急ぎで行ってしまう。
「日本品」の店の奥には、雑誌や年鑑。石鹸、カップ。缶詰。蓄音機のレコード、ガラス鉢の中には貝、鯉や蛸の燻製。造花の桃の花。そしてお茶。何でもある百貨店。別の日本娘が
「コレ、ニホンノ ピンガノム。500レイ!」
大急ぎで売る。絵付けがされた陶器の小さな椀。緑、黒、金箔。日本製だ。
棚の後方には腰の低いテーブルがあり、それを囲むように三人の若い男がいる。広げられた包装紙のうえで、物凄い数のくたびれたお札を貼っているのだ。もちろん流通中のカネである。根気の要るジクソウパズルに似ている。絶望的な雨の日の時間つぶし。
「ミンナモラウ。キャクハ コンナ サツシカ ナイ・・・」
三人とも艶やかで、意志が強くて賢そうだ。そして、三人とも同じようにすばやく気安い笑顔をつくる。笑いの仮面をつけた守銭奴。
雨のしずくとともに夜が更けて、遠くの四つのガス灯が、コンデ・デ・サルゼーダス街を浮き出す。青白い光が濡れた歩道を汚く照らす。
つまづきながら道を降りる。
床屋がある。髪の豊かな西洋風のセルロイド人形がローション棚におさまって、セーターをきこんだ床屋を見ている。薄汚いガラス窓の向こうから三つ、いや八つ、十一・・・黄色い電球がじっとこちらを見据えている。地下室から人間よりも絶望的なバイオリンの音色がする。夜の日本人の街。誰も、誰ひとりも、いない。
排水口のために歩道に空けられた穴。道はとぎれ、突然、車が隆起にさしかかる。そこは下方の礼拝堂や三つの給油スタンドを持つガソリンポストや、のこぎり屋根の工場に向けて勢いよく下降する場所だ。
歩きにくい道をまた登ろう。
日本人の街の夜。黒いひらがなが踊る白い電球が、下方の小さい広告を照らしている。誰も、誰・・・、ア、ひとりの男が出てきた。このあたりの最近はやりの、町全体を塗りつぶす勢いの白塗りの家具工場からおとなしく帰るところなのだろう。頭には菅笠も、また肩には蓑があるわけでもないが、また、そんなことはどうでもいいのだが、世界の男を象徴している。ゴムの長い雨合羽。ふちのたれた帽子。細い指。坂を降り、通りすぎて行った。
夜の日本人の街。サルゼーダス公爵の古い館。赤レンガ、ステンドグラスの窓やエリザベス朝のアーチ型のバルコニーから市内を展望する。塔が顔を覗かせる塀の角までのびる壁は、ボニータ街に寄りそい、言いようもなく美しい(ボニータ)。
ずっと登っていくと、同じような軒並みの家々が並ぶヴィラジェがある。狭く、曲がりくねったようすは、危険を感じさせる。
すっかり、夜になった。雨のしずくとともに、恐怖がやってくる。しかし、鐘馗、悪魔を捕える神は、強運で権力をもち、恐怖を与えるもの、恐怖を持つものも取り去るはずだ・・・・・・
(・・・ここに深い井戸を掘って、地球を突き抜けるほどのアナを掘って、その中にまっさかさま。一瞬のうちにズ、ズ、ズー。ポーン。一丁上がり。頭を上に着陸だ。ほら! セー広場に着陸だ!)
1929年3月17日