ホーム | 連載 | 2014年 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(9)=ゲットーの街――ユダヤ移民

コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(9)=ゲットーの街――ユダヤ移民

戦前のジョゼ・パウリーノ街の様子(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

戦前のジョゼ・パウリーノ街の様子(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 さまよえるユダヤ人は、楕円形の曇りガラスの看板の前を通り過ぎた。わたしは立ち止まって読んだ。「カフェ・ヤコブ」。黒い字がソロモンの星(二つの三角形が上下に組み合って六角の星をなす)の下に書かれている。サンパウロのどこにでもあるような変哲もないカフェ。女主人が現れる前に、白い大きな女がカフェジーニョを勧めてくれる。
 両方(女もコーヒーも)とも冷たい。壁の帽子掛けには、帽子の代わりにヘブライ語のポスターがつるされ、ゆれている。縦に書かれたヘブライ語は「聖書物語」でみた説明書の挿絵の中の、ペルシャザル王が酒宴を設けたとき、ダニエルに解き明かすように命じた不可思議な三つの文字を思わせる。
 白い画用紙に書かれた青や紫の文字。白いユダヤ女は説明する。これはユダヤ人のダンスパーテイーの案内。それはアマゾン街にある仕立て職人の団体が催すもので・・・さもありなん・・・。
 既製服の店、家具の店、毛皮の店。いつもいつでも衣類、家具類、毛皮類・・・。
 看板が少ない。ほんのわずか。看板はここの大きな商人だけが掲げることができるのだ。数少ない看板の個人名は決まったように・・man、・・berg、・・stein、・・schild、・・ow、・・vitchという語尾で終わる。
 ほかの店・・・数え切れないほど無数の他の店には何もない。まるで何もない。看板も名前も、家の番地さえもない。
 ユダヤ娘のローズが見える。イスラエル・ザングヴィル《註=イギリスの作家。(父はロシアから亡命したユダヤ人。母はポーランド人)》のローズ・グリーン。父親の紳士服仕立て屋のドアの前にいる。
 まちがいなく彼女だ。ローズは白い肌で、美しい。流行遅れの恐ろしく不細工な刺繍のサテンのワンピース。その白い腕は(ワンピースには袖がない)暑さのためだらんと垂れ下がっていて、父親から言いつけられた重いアイロン掛けから、つかの間、開放されて、熱い体を休めている。
 父親は人工毛皮の襟がならぶ様々な色のプルオーバーが山のようにかけられた間で忙しい。ザングヴィル地方からからきたローズ・グリーン。いや、もしかしたら、ポール・ヴエルレーヌ《フランスの詩人》のグリーンかもしれない・・・。

 お前の初々しい乳房でオレを狂わせてくれ・・・

 この瞬間は「ボンレチロ」のバスの中に飲み込まれてしまい、ソロン街は存在しなくなる。
 バラ・ド・チバジ街。バスは止まらなければならない。チエテ川が氾濫して立ち往生するのだ。子どもたちが・・・すざましい数の子どもたちが・・・バスに群がってくる。大部分が金髪にそばかす。まるでプリズム・レンズ(ドイツの技術だ)により、限りなく増殖するサミー・コエンの映像のようだ。緑の泥。荒廃。右側はアイモレ横丁。むさくるしい家が立ち並び、壊れた囲いを突き破るようにはびこる叢。
 背後には川と山。川と山の見分けがつかずに濃く青ずむ。そこを黄色の髪の男たちが新聞紙にくるまれた大きな包みを抱えて横切る。向こう側の上手の町で買った中古の衣類や半長靴であろうか。この下町に来て修繕され、新品になって売られる。
 ゆっくりカピタン・マタラゾ街を登るとき、これもゆっくり降りてくる白いエプロン姿の男に出会った。板切れの上にわけのわからない菓子を並べ、大声で売りながらやってくる。
「ロシア人?」
「いや。おいらはブラジルにいるんだからブラジル人だ」
「この菓子は、ポロニアか・・ドイツか・・イタリアのじゃないかい?」
「いや。ブラジルで作ったんだからブラジル製だ」
 言ってもむだだろう。祖国とはそんなものかもしれない。今現在住んでるところなんだ。(つづく)