パラー州ベレンで7日夜、2013年12月にユネスコの文化遺産に登録された「シリオ・デ・ナザレ(ナザレ大祭)」の開会ミサが開かれたと同日付フォトス・プブリカスなどが報じた。
ナザレ大祭は1793年に始まったカトリックの伝統行事で、今年は222回目。シリオには大きなロウソクという意味があり、ナザレの聖母像を先頭に行われる巡礼は夜の行事だった。
だが、1854年からは雨の被害を避けるために午前中行われるようになった。1793~1882年は同州政庁から出発していたが、それ以降は、ベレン市のナザレ聖堂が出発点となった。
パラー州での巡礼に使われる聖母像は、17世紀にイエズス会の神父らによって作られた。1700年、ポルトガル人と先住民の子孫であるプラシドと呼ばれる男性が現在のナザレ聖堂のある場所で聖母像を見つけて持ち帰った。だが、きれいにして棚にしまっても元の場所に聖母像が舞い戻るという出来事が繰り返され、男性は聖母像をみつけた場所に自費で聖堂を建てた。聖母像はその後、時の州知事によって政庁に移されたが、やはり聖堂に戻ってきた。
聖母像は1773年にジョアン・エヴァンジェリスタ司教によってベレン市の守護神とされ、1774年初めにポルトガルに運ばれて修復作業を受けた。
聖母像がベレンに戻ったのは同年10月で、列をなした信者が聖母像を港から聖堂まで運んだ事が原型となり、1793年以降、10月第2日曜日に聖母像を掲げた巡礼を行っている。
今年の場合、10日の朝、ミサの後にベレン市内の聖堂を出た聖母像は、市内を練り歩き、隣のアナニンデウア市にある本部教会に運ばれる。聖母像はここで一夜を過ごし、信者達も徹夜祈祷を行う。聖母像は土曜日未明、本部教会でのミサの後、警察車両や消防、救急車、公用車などの伴送を受け、ベレン市イコアラシの港に運ばれる。
船での巡礼は朝9時頃始まり、数百隻の巡礼船も続く。午前11時半頃ベレン港に着くと、聖母像はオープンカーで運ばれ、伴走するバイクが警笛をならし続ける。巡礼は家を出て聖母像に願い事を唱える沿道の人も加えながら続き、ジェンチル・ビッテンコウト校で待つ大勢の信者と合流。11日夕方は、ここでのミサの後、聖母像を運ぶ専用車両への移し変えの儀式が行われる。
日曜早朝はセー聖堂でのミサの後に巡礼を再開し、長さ400メートルで重さ700キロという縄を担いだ信者達は、聖母像を載せた車の後をナザレ聖堂のある広場まで練り歩く。12~27日の15日間は文化的なイベントも多く、昨年の巡礼参加の信者や観光客は230万人を超えた。