ひとつの窓にひとつの扉。そこに楕円形の看板がかかっている。花壇のぽんぽんダリアのような白と赤の「郵便局」。覗いて見る。この地区さいしょのランプ――石油ランプ――に照らされて、丸坊主の明るい瞳の男が手紙をより分けている。一瞬、時間はとび、このたそがれのブラジルの地をさまよう魂がみえた。あの瞳には冷たい海に曳かれるRevelやRigaやPolangenの船が宿っていた。松脂、燻製の鮭のにおう、あるいは太いロープが薄い氷を裂く船。涙を拭うための紙片をそっともってきたのかもしれない。
(アルヴァレンガ・ペイショト街《註=Inácio José de Alvarenga Peixoto、弁護士・詩人。ミナスの陰謀に参画、逮捕されアフリカに流刑。アンゴラで死去》。アフリカの牢屋につながれて叙情詩を詠んだひとりのブラジル人のその名こそ「サンパウロのバルチカ地区の郵便局の夕闇」の情緒を醸している・・・)
郵便局の石油ランプは、あたりのカーテンの陰にある別の石油にいっしょに輝くようにさそう。街中にはライト社の新しい電柱が、まだ電線もなく腕を組んだようにたっている。きらきらと輝く石油ランプを前に少し恥らいながら、それでも元気よく見せようと。
男たちがやってくる。白いセーターをきた大きい男たちは沈黙し、静かに家の垣根によりかかって、疲れたように黙り、何もいわない。女たちが現れる。白いエプロンに白い被りもの。家の前でだまって炭の火を熾し、だまったまま炭火に深鍋を乗せる。だまったままだ。この外国人たちの寡黙はけっきょく罵りなのだ。この一味違う寡黙が私たちを苛立たせ、混乱させるのだ。
すべては混沌としている。道をガチョウの群れが通ったようだ。ゆっくり、ガアガアと。ヤンキー映画の村に必ず出てくるシーンだ。どこかでアコーデオンが二つほどしゃくりあげ、すぐ止んだ。蓄音機も同じだ。さらに沈黙を際立たせるように、すぐ近くを機関車が通る。汽笛が鳴り、車輪が軋み、眠そうな振動が伝わる。貯水池にはさかさまになった夜行列車の窓の明かりが走る。
バルト海の夜。冷たい静寂である。白い陽光の微動だにしない風景。白いリスが赤い口で松の実をかじる暗い疎林のエクスタシー。冷たい孤独な沼地の上をV字になってとぶ野鴨の群れ・・・。
疲労。黙ったまま家の垣に寄りかかる男の疲労。黙って家の前で決まったリズムでコンロの炭火をあおる女の疲労。沈黙は女たちのリズムなのであろう。
石油ランプの赤い目、コンロの赤い目、垣に寄りかかったたばこの赤い目・・・すべてがこちらを見ている・・・いや、何も見ていやしない・・・。
一軒の家の壁の窓とドアの間に、古い蹄鉄が打ちつけられているのが見える。別の家の戸口にも蹄鉄。またもう一軒の家・・・白い国の迷信というもの。繁茂した大木のような大家族のフィンランド人の精神というもの。北の森の伝説。神秘なカレワラ《註=エリアス・リヨンロートが1835年に口承の伝説を編纂した叙事詩》におののく集落の人々。
――カレワラ、野や山のポプラの木、カバの木、ニワトコの木、ヤナギの木、マツの木の根が絡み合う地面の下に埋められた巨人(ポプラ、 シラカバ、ニワトコ、ヤナギ、マツ)に根を張るフィンランドの家族。最大の英雄ワイナミョイネン《英雄の名前》、鍛冶屋のイルマリネン《註=伝説的な鍛冶屋》・・・、石の間から金の粉を梳きだすサンポ《註=フィンランド神話の幸福をもたらす宝物》を手に入れたい野望、地底にある宝石の神々、ロウヒ《註=ポポヨラの女主人》のムスメ。骨が象牙色で、骨髄が肉を通してすけてみえるという魔女ロウヒ・・・。
《註=イルマリネン(鍛冶屋)がポポヨラの娘を得る手段として作り出された宝物がサンポ。そのためポポヨラは大変な金持ちなる。その後、ワイナミヨイネンやイルマリネンがサンポの奪回を図り成功するが、ロウヒたちの追撃にあい、サンポは粉々になって海に散らばり、それが流れ着いた地に幸いをもたらしたという伝説》
白夜である。
暗い夜の白。混沌としている。
車のライトがバルトロメウ・ギマランエス街の暗がりを照らし、コンパスのように曲線を描く。反転。方向転換だ。戻る。沼地にある窪地のかえるの声を遠くに聞きながら戻る。街道の穴にタイヤが躍る。煙を吐く機関車の騒音。軽やかに煙が飛ぶ・・・。
――はだかの夜、濡れたサンパウロの夜景――
1929年4月7日
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