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医師を辞めて食堂経営=台湾からの移民のファン氏

 2010年1月、サンパウロ市ヴィラ・オリンピアに1号店を開設した「焼きそばファクトリー」は、今や6州に15店舗を抱えるチェーン店にのし上がったが、この店の創業者のファン氏は、医師として仕事をする傍ら、食堂を始めたという変り種だ。
 2歳の時に台湾から来たというファン氏は、若い時から料理が好きで、中華料理のスペシャリストを自負していた。
 だが、将来の職業を選ぶ段階で、技師か医師にという父親の要望を断りきれず、サンパウロ総合大学医学部に進学。卒業後は外科医ならびにガン専門医としての研修を積み、医師として活躍する事15年。4年間は医療現場の責任者としての重責も負ったが、好きな道は諦めきれず、医療活動の傍ら、料理の研修を受け、「焼きそばファクトリー」開業に至った。
 「焼きそばファクトリー」には現在までに200万レアルをつぎ込んだというファン氏は、今年中にあと7店舗を開設するつもりで、今年の年間売上額は1千万レアルに達すると見ている。
 現在の「焼きそばファクトリー」はまだ収益を上げる段階には至っていないが、ファン氏自身は医師を辞めた事を後悔していない。フランチャイズ店は開業のための経費がかさみ、設備の購入や新店舗の場所の選択、販売員やオペレーターの確保と共に新人を訓練する指導者なども必要で、調理の技術やマーケティングの知識も不可欠だ。
 現在の収支はトントンで、来年後半からは利益が生まれるようになるのを期待しているという。
 ファン氏は自分の店の売上などを管理するだけではなく、新メニューの開発やその味見にも参加する。各々のメニューには調理の手順などを示すビデオがあり、各店舗の責任者はファン氏が認定したメニューや手順に従う事が要求される。
 ファン氏は、サンパウロ市中央部のショッピングセンターに中華料理の店を出すまでの4年間、医師として働きながら経営術を学び、調理師としての研修も受けたが、その後は奥さんと相談し、国際的な料理のシェフとしての講座を受けるために2年間の休暇を取ってマイアミに。家族で2年間の渡米には5万ドルの受講料などで計150万レアルがかかったが、貯金や家族からの支援で2年間を乗り切った。
 だが、ファン氏一家が2008年に帰国した時、ショッピングは既に閉鎖されており、ジャルジン・パウリスタに開けてみた新しい店もなかなか上手くいかなかった。
 そこで、この店の回転資金を作る意味で開業したのが「焼きそばファクトリー」だった。1号店開設資金は18万レアルで、小さなスペースでも調理などが可能な店というコンセプトでスタート。パウリスタの店は収益が上がり始めた時に店舗を空けて欲しいと言われて全てを失ったため、「焼きそばファクトリー」が軌道に乗るまでの間、中華料理用のソースのメーカーやショッピングセンターの中華料理店などのコンサルタントも務めた。
 幸いな事に、競争相手がいなかった「焼きそばファクトリー」は、「フランチャイズでやってはどうだ」と相談を持ちかけてきた人がいた事もあり、2年後にチェーン店に発展し始めた。
 医師から食堂経営者への変身は、父親始め、多くの人から不思議がられたが、職業を変えた事は肯定的な変化との思いは変わらない。「ガン科医だった時は雑誌が取材に来る事もなかったけど、医師を辞めるという話には雑誌記者が飛びついてきた」と言うファン氏の顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。(15日付G1サイトより)