ホーム | 連載 | 2014年 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子 | コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(15)=素朴な人たち――ポルトガル移民

コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(15)=素朴な人たち――ポルトガル移民

ビラ・マリアナ街を山羊を連れて歩くポルトガル人(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

ビラ・マリアナ街を山羊を連れて歩くポルトガル人(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 肌を刺す朝の空気のなかを鈴がなる。
 恵まれた人の住むお屋敷の門の白いエプロン姿の間を通って行く。まるで儀式のように厳かにヤギの群れが行く。ちゃいろ、しろ、ぶち。ひづめを石畳にたてながら。
――ドアマットのように荒い毛並み――リズムに欠けた歩みが、目覚めたばかりのおだやかな朝の空気をかき乱す。
 歩道では厚手の毛織の半ズボン。首鈴ならしの銀色チョッキ、折って一方の肩にかけられた厚い外套、額にかぶさる黒い帽子のヤギ飼いが足を引きずりながら棒切れを手に群れを導く。新しい家の前に止まる。そこには青白い鼻を窓ガラスに押しつけた病気の子が外を見ている。
 元気よく飛び跳ねるヤギの乳を絞る。大きなコップいっぱいが10ミルだ。小さいコップは6ミルだ。ニッケル銭がなかで踊るのでチョッキからつり銭をだすのが困難だ。鈴がまたヤギの首でふざけたように鳴る。金持ち通りの長い路を群れが通る。マットのように粗い毛並み。リズムのないひづめの音が起きたばかりのやわらかい街を行く。
 別のヤギ飼いが別の群れを引き連れて別の路をゆく。さらに別の男が別の群れが、このあたり一帯の別の路をゆくだろう。
 どこに住んでいるのだろう。この朝の早いヤギ飼いたちは誰なのだろう。
 日が傾きかけた夕方、コレイア・ジアス街をいく。路はまっすぐ平らで舗装されている。しかし、突然、歩きにくい下り坂となり、穴だらけの乾いた土道が急傾斜でつづく。それを赤い道が横切るところにくると静かで落ち着いた道に出る。これがジュルバトウバ街だ。
 ジュルバトウバ街。右側は新しい家々が並ぶ。左側は茂った谷が眼下にみえる絶壁になっている。高台の視界が開ける。谷底は緑のくぼ地になり、私は曲線を描く小川に視線を走らせながら幸福感に浸る。いろいろな緑色がモザイク模様をなす矩形の菜園。一列になって風にひるがえる白い洗濯物。細長くて平べったくて錆のあるブリキ屋根の家々。
 その谷間に魅了されて、下る。金髪の男の子がふたり上ってくる。サスペンダーのズボンに縞の木綿のシャツ。何か議論している。訊くともなしに聞こえた。
「・・Teu(キミ)のお父さんにいいつけるぞ・・・」
 わが国のヴォッセをさすTeu、そして漆喰を塗リ終わったばかりの家に黄色いペンキで書かれた「A dos Santos・・・Jardineiro e Musico(サントス・A家・・庭師・楽師)」という文字。この二つが何かを気づかせた。
 ああ、ポルトガルだ!
 高台のビラマリアナから家が密集した低地のカンブシーの間の細い谷間を降りていく。山の生気。空気から水と緑葉の冷気が伝わる。深く息を吸い込んで空気を味わう。まるではじめてのキスを味わうように。
 明るい瞳の小柄な男がやってくる。歌うように話す。まるで歌なのだ。
 ヤギ飼いたちの素朴な暮らしを(このあたりに多数住んでいる)語る。昔はサラクラ・グランデ郡に住んでいたこと。お役所の命令で越してきたこと。早朝にヤギの群れを引き連れてお得意さんを回り、11時頃にはヤギ小屋につれて帰ること。ヤギ飼いは日中、あの空き地にヤギを放し、日暮れにはまた呼びこむ。モロコシやフスマが高騰してやりづらい。堆肥は近所の小さな農家に売る。あのジュルバツバの夫婦と同じような暮らし向きだ。
「お国はどちらですか」
「ブリガンサ、でさあ」
 やっぱり、ポルトガルだ。
 瞬間、明るい瞳の小柄な男にファドとサウダーデが羞じるように顔をのぞかせる。
 ブラガンサ・・・

 北部の古都トラス・オス・モンテス
 緑の山岳地帯ボルネス・デ・モンテージニョス
 サボル川
 ツア川
 ラバサール地方のおいしい水  (つづく)