ブラガンサ・・・長くて強くて絵画的な名称が多い。トーレ・デ・モンコルボ、ミランダ・ド・ドイロ、マセド・デ・カヴァレイロ、カラゼダ・デ・アンシオン、フレイショ・デ・エスパダ・アンシオンなどなど。
そして詩人ゲーラ・ジュンケイラが生まれた町である・・・「素朴な人たち」・・この明るい瞳の小柄な男に「素朴な人たち」の詩編の山々や田園を感じるではないか。すがすがしい緑の深い谷に天から降りてきた小さな男の魂が、このブラジルに隠棲しているようではないか。
例の男・・・オリーブやアーモンドの木がつながる道を下りてくる、なりは貧しいが、希望に満ちた瞳の男を眺めた。ジュルバツバ街の上のほうから、低いこちらに向かってエニシダの花がついた小枝をふる老婆がいる。
そしてトン、トン、トンと灰色のロバを小枝で追い立てる娘に思いをはせ、それから赤い横道からパウラ・ネイ街に入ってくるヤギの群れを追う娘を少し眺めた。・・・そして、一番鳥の鳴き声と、水車のきしむ音の中を棒切れをもって牛車を追うきれいな娘に思いを馳せた・・・それからヤギ小屋の戸口に夕日に染まりながら踊る薮蚊の蚊柱を眺めた。
それから収穫されたトウモロコシの周りで踊る女たち。荷が一杯つまった穀物倉庫の前の木彫りのように横たわる2頭の牛、それから月光で金色のモザイクに光る脱穀場に思いを馳せ、それからガラス色の空を突いているカンブシーの教会の尖塔をながめる。
オオカミがほえ、霊が祭りの行列を包むあの真冬の夜の、雪に覆われた礼拝堂に思いをはせた。・・・わたしの直ぐ横で棒を削っている老人に目をやる。
太陽の光に輝き、雪で白くなった古い服、肩に袋をかけて山を登る牧師を連想した・・・松の実色のズボンをはき、みどりに覆われた菜園に、鉄条網の柵を越えて働きに来る男。家にはスープをまつ神から授かった六人の子どもがまっている・・・遠くに小さな子どもたちが、けんかしながら小川を飛び越えている。
風に吹き飛ばされて落ちこぼれたように屋敷や村里の差し掛け屋根や囲い小屋で、しゃくりあげながら眠る子どもたちを考えながら、ビラマリアナ墓地の白い点々を眺めた。遠い緑の中にいる羊の群れのようだ。そしてカンポ・サント(サルバドールにある墓)の空の下で眠る農夫。家畜の番人、牛飼いたち、曾ばあさんに思いをはせた・・・寒い夜空を仰ぐ。私を見ている小さな氷のような一番星。
そして幼年期をこなよく愛する老年期というもの。・・・老いた乳母たちは私が子守唄を忘れないよう歌ってくれるためにいるのだ・・・。
素朴な人たち
私は谷底や自分の深奥に哀れみを抱きながらセントロに向かって、そう、遠くにある現実に向かって上っていく。もう一度振り返る。静止する時間の中で日が暮れていくのを見るために。
平和。ユーカリの細い葉が揺れもしない。犬がけたたましく吠える、ずっと下のヤギ飼いたちの世界では誰かが焚き火をしている。高く勢いよくあがった炎が小さな夜の谷間をなめる。
別の巨大な夜が降りてくる。こちらは街から降りてくる。ランプの火付け棒の先の悲しい光り、ゆらゆら揺れながら降りてくる。灯りは坂を走りながらおり、地表に着くと、影の創造者、夜の創案者が青ざめた瞑想的なランプの光の滴りを地面に平行に落としていく。
1929年5月15日
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