見学後は会館に移動し、夕食会が開かれた。嵩原ルイス会長の歓迎の挨拶に続き、会食に移った。
嵩原会長は大宜味町出身の祖父を持つ、沖縄系三世。日本のマグロ船や貨物船が頻繁に出入りしていた頃、船舶代理店で日本船の対応をしていたという。「当時この一帯は畑だったので、土地が安かった。『何であんな辺鄙なところに』とクレームがあったけど、今は市の中心部に近くて便利になりました。運営費は施設の貸し出し料や文化教室、スポーツ教室を開いて稼いでいます」と会館を紹介した。
名簿上の会員は2916人だが、実際はそれ以上の県系人が活動している。同県人会を拠点に30程度の市町村会があり、記念の年も各会で祝うという活発ぶりだ。
「三世、四世が県費留学や研修で沖縄へ行くおかげで、戻ってきた子たちが『肝高』(きむたか)という青年部を作って、文化を広めています。日本文化や沖縄文化に関心を持つ人も増えていて、毎年1月にある沖縄祭りには3~4千人が集まります」と言う。琉球国祭り太鼓のメンバー600人のうち、すでに8割はペルー人とか。
満面の笑みで一行を迎えた宮城春子さん(85、大宜味町)は、母県で二世の夫と出会い結婚、1957年に移住した戦後移民。うちなー民間大使として沖縄文化の普及を担う。「主人の両親はいつか沖縄に帰るつもりだったから、中学生になった夫を親戚に預けて沖縄で勉強させました。彼の父母がこちらにいるので移住しましたが、日本人はまじめで正直者と、ペルー人の受けが良いですよ」と話した。
食事の間は、ペルー日系人協会傘下の日系学校生徒から1999年に生まれた舞踊団「Peru Nikkey Ritmos Y Colores」が、南部の伝統舞踊「カルナバル・デ・ウアンカピ」やアフリカ系舞踊「ラバンデイラス」、密林地域の踊り「アナコンダ」など様々なダンスを披露した。舞台を飛び出したダンサーに手を引かれ、一緒に踊った田中義文さんは、「こんな歓迎受けたことない。冥土の土産になります」と大喜びだった。
ペルーの日系学校では現地の伝統舞踊を練習している。当地の日系団体でサンバやフォホーを練習している会があるだろうか? そのような方向性を持つこと自体、ペルー日系人の興味深いあり方を示唆している。
サンパウロ市から訪れた女性の参加者は、「こっちの人は人数が少ない分、良くまとまっているみたい。ブラジルの二世はちょっと冷めているから、ここまで立派な歓迎会はやらないかもしれないわねえ」と感心した様子で言った。(つづく、児島阿佐美記者)