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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=38

 単身移民をした青年であったから、こうした不幸がなければ、やはり日本から花嫁を呼び寄せて家庭を築いたに違いない。みな自分のことで精一杯で、それきり彼は同船者たちの話題にあがらなかった。
 日本人の顔はしているが日本人ではない人達がこの国に生まれ育っていて、言葉の不自由な新来移民を食い物にしたのである。私もこのあとすぐに騙された。私よりも若い二世の二十歳未満の娘に、美顔術の講習料五回分を払って貰えなかったのだ。
 盗もうとする者の知恵の深さに、ブラジルに来て間もない日本人が敵う筈もなく、それ以後は盗まれ騙され続けた。私はこの国に四十数年生きているが、この体験を話すと、
 「あなただけではなく、みんな、そうした高い月謝を払って、生きていく知恵を身に付けてきたのよ」と言われる。

 ペンソンの一本横の通りに一世の女性の経営する美容院があった。紹介されて行った店ではなく、私が開拓した店である。経営者の一世は、若い二世の男女の使用人に店をまかせ、どこかの料亭か或いはバアで働いているようだった。はじめて会った日に、
 「あなた、一世ね、花嫁で来た人?」と聞かれ、彼女も、
 「私もよ、でも、もうそこの家を出たけれどね」と静かに言った。印象に残っている会話はそれだけである。それ以上突っ込んで私も聞かず、彼女も話さなかった。おしゃべりをするほど暇がなかったのか、彼女は店に長く居なかったのである。
 経営者がいつもいない店には、カットした髪の毛が、そのまま散らかって床にあり、二人の使用人は、それを平気で踏み歩いていた。客が去ると、すぐ男はソファに女の膝枕で寝そべり、不潔さと淫靡が同居している店だった。経営者の女性には六歳ぐらいの男の子がいるそうで、経営者が店に来られないのは、その養育のためとも思い、夜の勤めのために朝はゆっくりとし、昼間は家事をするのかとも思ったのだが、
 「デートがあって忙しいのよ」と、二人のその使用人から聞いた。
 私は週に一度、火曜日に行くが、経営者は私の出てくる時間に合わせて二時ごろに来た。そしてサービスに美顔術と化粧をさせて、そそくさ出掛けて行くのが常であった。私は来ない客を待つばかりで美容院もまた暇だった。
 美容院が流行らないから夜の勤めをするのかもしれないが、経営者がいつも店に出てきて、この不潔さと淫靡さを改めれば、客はもっと入りやすかったかもしれない。ナモーラという恋愛のべたべたくっ付きあう行為を慣れた、この地のブラジル人達でも嫌っていたのではあるまいか。
 経営者が私に化粧をさせない日には、別れた夫と子供に関することのためか、弁護士さんの所に行くということである。一九八〇年はじめ頃に、二年間別居していれば離婚が認められるようになったが、この一九六七年頃は、まだブラジルでは離婚が認められていない時代だった。使用人がある日、
 「あなたに、リンペーザ・デ・ペーレ(美顔術)とマキラージン(化粧)をさせるために来させているだけよ、客が来るなんて嘘よ」と教えられた私は、それ以来、この美容院に出入りすることを止めた。静かなもの言いと正反対な、ずるい遣り口だった。