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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=39

 蚤の攻撃は夜毎にあまりにも酷く、私はリベルダーデ広場にある高層アパートに住む未亡人が、内職にしているペンソンに移った。ここでは、作りたければ台所を借りて料理を作ることも許され、OLの若い娘達は、簡単なものばかりだったが、作っては交換しあった。このペンソンに住む娘たちも、地方からの学生とOLであったが、建物が新しいこともあって蚤もおらず、一部屋に四人であることにかわりはなかったが、すっきりと住むことが出来た。一世のグラマーな娘がビキニ姿で、「どお、わたしの体きれいでしょ。」とポーズをつくり隣の部屋から、  「見てよ、見てよ」と現れたりしたが、私がチラリと見るだけで相手にしなければ、それ以上私には話しかけなかった。
 私はボストンバックに化粧品を詰め、片方には美顔器を下げて、紹介される家や美容院へ仕事に歩き続けていた。こんな生活の先を不安がる思いが、ふと芽生えることもあり、長く考え続ければ鬱病になっていただろうが、私の性格は今でも馬鹿に等しいと言いきれる単純なものであり、山中鹿之助の言葉、
「憂いことのなほこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん」を、言えるほどのカッコ良い女ではない。単純であることは直ぐ立ち直り、前むきになる便利さがある。なんど倒れても起き上がる子供のおもちゃの「起き上がりこぼし」のそれである。

 料亭赤坂の仲居さんが自宅へ来てほしいというお客を紹介してくれ、ペンソンから二キロばかり離れた女性のアパートへの道をバスよりも簡単と言われ歩いていると、
 「これを拾ったが、買わないか? 俺は男だからいらないので安くて良い」と指輪をもって寄ってくる男がいた。これがペテンだと聞いていない私が、その金の指輪を歩きながら見ていると、後ろから来た六十歳代の紳士が、私の左腕に体当たりをするようにして目配せをした。私には何の意味か、直ぐにはわからないまま、その紳士の後ろ姿を見ていると再び目配せをした。私が近づくと、
 「相手にしてはいけません、詐欺ですよ」と教えてくれているのだと、言っている言葉の意味は分からなかったが、勘で判断して頷いた。
 季節は秋、さわやかな風の吹く街角で、ちゃちなペテン師に、この女の子なら引っかかるだろうと魅入られたのだ。またある日には、ビッショ(動物)という動物宝くじ売りが、
 「あなたの目の前に落ちてきたこの籤こそ、あなたに幸運がある籤にちがいない。だから買いなさい」と、私の後を追って来た事もある。そんな出来事をペンソンに帰ってから話すと、ある娘が、
 「こんなのもあるわよ」と言った。現在NHKが海外安全情報で、たびたび取り上げている強盗の仕方と同じことを、四十数年前に聞いたのだ。
 それはアイスクリームなどを、後ろからわざとつけたりして、汚れを落とすふりをしながら盗むのである。どの国に於いても、盗もうとする者の知恵は、何十年経っても変わることなく続くものらしい。しかし、この頃のこんなペテンは、どこか可愛い気がする。一三、四歳の子供がグループになり、歩いている同い年ぐらいの子供をいきなり襲って靴を剥ぎとったり、ジョギング中の駐在員男性を襲って、身包み剥いでパンツだけにしたり、ひどいときには刃物やピストルが目の前に出る現在のことを思えばである。結婚後コンゴーニャスに近い現在の家に越して、私はピストルを三回突きつけられ、息子は車を三台盗られた。