3日目はリマ県バランカ郡の日系人会との交流のため、早朝バスに乗り込んだ。パンアメリカン・ハイウェイに乗って海岸沿いを北上するが、道路の両側の壁のために、残念ながら眺めが遮られる。
「車が止まると泥棒がガラスを割ってかばんをひったくるから、壁を作って人の侵入を防いでいるんです」。若林カルロスさんの日本語解説は分かりやすく、一世の参加者に好評だ。
戦時中は日本語が禁じられた上、戦後移民が少ないため、ペルーの日系社会に日本語話者は少ない。若林さんは「日本的教育を受けさせたい」という父親の意向で、7歳の時に弟と祖母と一緒に沖縄県の親戚のところへ預けられたため、日本語が流暢だ。
元スラム街だったというハイウェイの周辺だが、今は商業施設が林立している。しばらくすると一面薄灰色のスラム街に覆われた山々が見えてくる。「警官が制服を着て入れば、たちどころに殺される」という脱獄者の隠れ蓑だとか。
同国では一部の上流階級に富が集中しているため、一般市民の最低賃金は月300ドル程度。それでも「30年前に比べて約3倍」になり、いわゆる中流階級が増えつつある。「ペルーが良くなってきたのは藤森大統領のおかげ。彼も汚職はやったが、やることもやった」と若林さんは、いつもの淡々とした調子でその功績を称えた。
1999年、日系人初の同国大統領となった藤森アルベルトは、年率7500%というハイパーインフレで混迷を極めていた経済を立て直し、テロ組織を鎮圧、崩壊寸前の状態にあったペルーに秩序と発展をもたらしたといわれる。
「法律を変えて大学をどーんと増やし、経済発展には車両数を増やしてガソリン税をとるのがいいと、日本の中古車を個人輸入できるようにした。このおかげでペルーの経済が動き出しました」。こうして始まったデカセギによる中古車ビジネスは「運送料を差し引いても2~3千米ドルの儲けがあった」という。
藤森元大統領は軍による民間人殺害の罪で、25年の禁固刑を受け服役中だが、依然根強い人気がある。若林さんは「彼を刑務所にとどめているのは反対派の莫大な金。彼は成功しすぎたのです。国民が声を上げても刑務所から出す力はありません」と語った。
現在、長女の恵子が次期大統領選に向けてスタートを切っている。彼女の出陣は、父の名誉回復のための戦いでもあるのだろう。
車窓から見える景色はほとんど砂漠、時折水辺に白い町や農場が見えるだけ。さっきまで南米有数の大都会にいたのが、嘘のようだ。(つづく、児島阿佐美記者)