今年の大統領選挙は、1989年開始の大統領直接選挙(同年はコーロル氏とルーラ氏の決選投票でコーロル氏が当選)以来の僅差の選挙だった▼89年選挙には23組が出馬。ルーラ氏に隠し子がいた事が判明したりして、有効票の53%を得たコーロル氏が当選した。その後の選挙ではカルドーゾ氏が一次投票で2度当選後、労働者党がいずれも決選投票で勝利(ルーラ氏が61%で2度、ジウマ氏は58・4%と51・6%)▼今年はエドゥアルド・カンポス氏の事故死とそれに伴うマリーナ・シウヴァ氏擁立により支持率が急変。かつてないほど攻撃的な選挙となった。ジウマ氏の攻撃でマリーナ氏は予想以上に支持率を落とし、反撃に転じざるを得なくなったアエシオ氏の拒絶率も急速に高まった。あまりにも攻撃的な選挙となり、棄権や白票などが増えるとの懸念は見事に的中し、21%が棄権、6・3%が白票と無効票だった▼投票日直前の支持率調査はジウマ氏優位のものとアエシオ氏優位のもの各二つで、いずれも統計上の誤差の範囲内の差しかついておらず、正しく票が二分したといえるのも特徴で、27日朝のラジオでは棄権した事を悔いている有権者もいるのではとの声も流れた▼いずれにせよ、PT政権の4年間継続が決まった時点で、アエシオ氏はジウマ氏に電話。祝福の言葉を伝えると共に、国を一つにする事を最優先するよう要請し、ジウマ氏は対話を第一とするとの意向を表明した▼最後の最後までけんか腰だった大統領だけに、昨年以来の抗議行動や一次投票で6割が野党候補に票を投じた事、僅差の勝利などの結果を鑑み、謙虚な対話をと願いつつ夜が更けた。(み)