90年代から2000年代にかけて人気と話題を集め、「将来のブラジル期待の女優」と目されていた人物がいた。彼女の名前はアナ・パウラ・アロージオ。そんな彼女だったが、2010年から忽然と姿を消し続けていた。
アナ・パウラ・アロージオは1975年生まれ。12歳の頃からモデル業をはじめたアナ・パウラは、バブル経済華やかりし80年代後半の日本にも仕事で長期滞在したほどの国際的な人気モデルだった。青い目に強いウェーヴのかかったロングヘアで、90年代にかけて、ブラジル国内でも話題の美女だった。
アナ・パウラは19歳の頃から本格的に女優業をはじめ、23歳だった1998年、グローボ局のミニ・シリーズ「イルダ・フラコン」で主人公である1950年代のブラジルの娼婦役を演じ、ブラジルのテレビ・ドラマ界の権威であるインプレンザ賞の最優秀新人賞を受賞する。
これで注目されるようになったアナ・パウラはグローボ局の看板女優となり、99年には19世紀を舞台にした時代劇の「テラ・ノストラ」、02年にも同局看板の9時のノヴェーラ「エスペランサ」で、インプレンザ賞の主演女優賞を獲得する。
また、2004年にはヴァルジーニャ映画祭出展の「セレステ&エストレラ」で、助演女優賞を受賞した。
だが2010年、主演をつとめることが既に発表されていた夜9時のノヴェーラ、「インセンサト・コラソン」の撮影現場にアナ・パウラは現れず、グローボ局との契約解除を一方的に求めた。
結局、主役を急遽パオラ・オリヴェイラに交代することで彼女は降板。そのまま、同年に結婚した建築家の男性と共に隠遁してしまった。なお、この男性との結婚式で、アナ・パウラは農場で白馬にまたがったことでも話題となっていた。
また、イタリア人映画監督のアルベルト・ロンダッリ氏も、当時アナ・パウラ出演で作っていたイタリア映画「アニタ&ガリバルディ」を途中で抜けられて、結局なんとか彼女不在のシーンをごまかす形で予定から大幅遅れの2013年に公開するはめになっている。
だが、その後もアナ・パウラの話題は後を絶たなかった。友人と思しき人物の個人写真に写ったといってはネットでの話題をさらい、さらに、散々な決別のされ方をしたグローボも「魅力的な女優」として、再度のノヴェーラへの出演を巨額の契約金でオファーし続けていた。
そんなアナ・パウラが女優業に5年ぶりに復活することが発表された。それは映画「ア・フロレスタ・ケ・セ・モーヴェ」。奇しくも「動く森」と題された映画で彼女は復活となる。この女優業復活について、アナ・パウラはグローボ局の取材で「断れないくらいの魅力的な役だったから」と語っている。
これまで多くの関係者がアナ・パウラとの仕事のやりにくさを語っているが、復活作の監督ヴィニシウス・コインブラ氏は「どんなに入り組んだ複雑な話をしても、彼女は一発で覚えてしまうんだ」と、その才能を讃えている。(2日付フォーリャ紙より)