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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=57

 「友達になるなら、弁護士と医者を」ともよく聞いた。その次に勧めたのが経済学科と建築科だったようである。
 ウルグアイで嫁入りに失敗して、ブラジルに来たばかりの私には、次々に縁談が持ち込まれたが、花婿となる青年達のことで気になることをひとつ挙げてみたい。これは、四十一年間この地に住んだ今だから、当時の花婿となる青年達について思いあたって言えることである。ただ一度関わりを持った活花の先生宅でのことを記しておこう。 

 大阪で活花の教授免状をもらった私は、先生から「海を渡ったらぜひ教えてみたら」と吹き込まれてすっかりその気になってしまっていた。ウルグアイからブラジルに来る時も、鋏と剣山と花器を少し持って来ていたし、ただひとりの同じ流派の方が、松岡春子の知人であることを知り、連絡をとったら、ある日おいでなさいと招かれ、ジープでなくては行けない山の中につれて行かれた先は、それほど大きい規模ではなかったが、やはり花栽培の家であった。
 「カーネションの苗を松岡春子さんから購入し、育て方も教えてもらいながら花を始めたのよ。松岡さんは同じ高知県人でしたしね、」と言った。ご主人よりも奥さんの方がテキパキとしていたが、人の良さそうな感じの裏に恐ろしさを秘めていると感じさせられた。 
 昼食に招かれたので、この地でカマラーダという使用人が二人共にテーブルに着いた。この頃まだ知る由もなく関心もなかったがコチア青年であったろうか。一人は若く趣味で描いたらしい日本画の美人画を見せてくれ、もう一人は歳のころ二十八~二十九歳ぐらいだったと思う。
 「もうすぐ独立をさせるのですよ」と奥さんが自慢そうに言った。
 この奥さんに、独立まぎわのこの青年との縁談を勧められたのである。しかし私の婚期はまだ来ていないらしく、その気になれずお断りするしかなかった。独立するならその前に結婚をした方が良いと考え、痩せてひ弱そうなのが気になるけれど、目の前に一世の娘がいるし、ということらしかった。後日花展をセアーザと呼ぶサンパウロの巨大マーケットで開催してこの同流の方とのご縁はここで終わった。持ち込まれた縁談を断ったことに関係があったのだろうか。
 こうした婚期の青年たちは、パトロン一家と家族同様の生活をしているため寂しさは紛れていただろう。そのパトロンに近い所であっても、独立して一人住まいを始めれば、連れ合いの花嫁がほしいのは当然であろう。出身地の県人会を通したり、コペルチーバ・デ・コチア農産業組合の結婚相談所へ申し込んだり、さまざまな方法で花嫁を探す努力をしたと聞く。
 たとえ独立後の農場の小屋で孤独に耐えることが出来たとしても、健康で気丈夫で前向きに生き、明るく向上心に燃えている青年ならば、愛し合って心を通わす妻として、納得して苦労を共にしてくれる連れ合い求めたと思う。
 しかし、その求める時期を間違えば、ペテン師まがいとも言われてしまう大変な結果を招いてしまうのだ。中には嫁取りができず、孤独に耐え切れず自殺した青年もあったかも知れない。私を花嫁に欲しいと言ってくれた青年は、見るからにがっちりした体格で健康そうであったから、独立後に花嫁を迎え、良い家庭を作ったに違いない。
 フィクションとして書かれている佐藤実氏の「転落の煌き」(副題 移住したなでしこの歴史)は、逃げた花嫁移民の強かな生き方を描いた作品である。