18日に行われたサッカーの親善試合、対オーストラリア戦でセレソンに新星誕生の瞬間が訪れた。1―1で迎えた後半37分、ペナルティ・エリア手前で、フェリペ・ルイスからネイマールに渡るかと思われていたパスを受けた男は、そこから強引にミドル・シュートをゴール右上に決め、勝利に貢献した。彼の名はロベルト・フィルミーノだ。
フィルミーノの名はブラジルのサッカー・ファンのあいだでも知る人ぞ知る存在だった。知られていたのは、彼がいつの間にか、ドイツのブンデスリーガでひそかに活躍しているということぐらいだった。
1991年10月生まれで、23歳になってまだ間もないフィルミーノのキャリアは、サンタカタリーナ州のクラブ、フィゲイレンセではじまった。このクラブは全国選手権の1部チームではあるが、ブラジル国内で伝統的に強い「12強」には数えられていないため、知名度が低い。それゆえ注目も受けにくかったのか、彼は21歳以下のセレソンにも1度も選ばれていない。
だが、フィルミーノは20歳を迎えた2011年、ドイツのホッフェンハイムからオファーを受けて移籍した。ここでもまた、ホッフェンハイムがブンデスリーガの1部で10位前後のチームであったために注目されにくかった。だが、このチームでフィルミーノはチームの要としてエースナンバーの10番を背負うようになった。そして13年のシーズンでは、得点数、アシスト数で、それぞれリーグ全体で4位と2位に入る大活躍を見せていた。この実績により、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、チェルシー、リバプールといったイングランドの競合が獲得に興味を示したほどだった。
そういう話が伝わり始めたことで、フィルミーノの名前はW杯後に、情報通のサッカー・ファンから「セレソンで試してみては」とあがりはじめてもいたが、いかんせん所属クラブが全世界中継されるような試合に恵まれなかったことで、「知る人ぞ知る」イメージはそのままだった。だが10月、11月のセレソンが国外組だけで構成されることになり、ようやく白羽の矢が立った。
だが、フィルミーノはこのチャンスをものにした。12日のトルコ戦、オーストリア戦共にフォワードの控えとしての後半から出場。12日は大きな働きをするチャンスがなかったが、18日は巡ってきたチャンスを逃さず、豪快な一撃を決めた。これまでは世界はおろか、ブラジル国内でさえおなじみではなかった彼にとって、強烈な名刺代わりの一発だった。
この活躍は、セレソンにフィルミーノを呼んだ理由を聞かれ、「彼は良いゴールへの臭覚を持っている」と答えたドゥンガ監督の期待に充分応えるものだった。来年3月には国内組も交えたセレソンでフランスとの親善試合に臨むが、これまでレギュラーだったジエゴ・タルデッリに加え、ネイマールと2トップを組む新たな有望な候補が1人加わったと見ていいだろう。
「セレソンにはじめて召集されたときも眠れなかったけど、今回も本当にうれしい。今日のユニフォームは額に入れて飾るよ」とフィルミーノは試合後に喜びを爆発させた。だが、彼のサッカー人生はここからだ。(18日付テーラ・サイトより)