ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | バストス元法相死去=歴史的事件歴任の弁護士=ブラジル民主化のために戦う=強い政界、司法界への影響力
20日に逝去したバストス氏(Geraldo Magela/Agência SenadoのArquivo)
20日に逝去したバストス氏(Geraldo Magela/Agência SenadoのArquivo)

バストス元法相死去=歴史的事件歴任の弁護士=ブラジル民主化のために戦う=強い政界、司法界への影響力

 ルーラ政権で法相(2003~07年)をつとめ、ブラジル裁判史の重要局面に数多く立ちあってきたブラジル司法界の大御所、マルシオ・トマス・バストス氏が20日、肺に関する疾患により、入院先のサンパウロ市シリオ・リバネス病院で死去した。79歳だった。21日付伯字紙が報じている。

 同氏の死に際し、政界や司法界からは次々と弔辞が送られた。政界からは「ブラジル司法界の重要人物を失った」(ジウマ大統領)、「民主主義のために戦った勇気ある弁護士だった」(ルーラ元大統領)との声があがり、司法界からも「創造性があり強い効力を持った法相だった」(リカルド・レヴァンドウスキー連邦最高裁長官)、「法相の見本であり、第一線級の刑法の弁護士だった」(ジョアキン・バルボーザ前連邦最高裁長官)と讃えられた。
 1935年にサンパウロ州クルゼイロで生まれたバストス氏は、58年にサンパウロ総合大学(USP)法学部を卒業。63年には進歩的社会党から立候補し、クルゼイロの市会議員(~69年)となっている。1970年からはサンパウロ市で法律事務所を開設し、79年に、当時、サンパウロ州ABC地区で労組を率いていたルーラ氏と出会っている。
 バストス氏は1983~85年のブラジル弁護士会(OAB)サンパウロ州支部長で、国民による大統領選直接選挙を求めた「ジレッタス・ジャー」運動にも深く関わった。87年にはOABの連邦審議会議長(~89年)となり、憲政議会でも重要な役割を果たした。88年には、環境問題の運動家シコ・メンデス氏の暗殺事件に関する裁判に原告側弁護団のひとりとして参加。92年にはフェルナンド・コーロル大統領(当時)の罷免要求の文書作成にも参加した。
 法相就任はルーラ政権誕生の2003年で、同氏は法相職を07年までつとめた。その間、連邦警察の再編や全国法務審議会の設立などを行なった。また、同氏はルーラ政権時代に任命された連邦最高裁判事7人中、6人を推薦している。その中には、バルボーザ氏やレヴァンドウスキー氏も含まれている。
 2007年に法相辞任後は弁護士に戻ったが、その後も大きな事件の弁護を担当。メンサロン裁判では農業銀行元副頭取のジョゼ・ロベルト・サウガード被告の弁護をつとめ(結果は14年5カ月の実刑判決)、ゴイアス州などでの大型汚職を摘発したモンテカルロ作戦では主犯の賭博士カルリーニョス・カショエイラ氏の弁護もつとめた。
 現在、ペトロブラスや与党政党も巻き込む歴史的な大型汚職事件として注目されているラヴァ・ジャット作戦でも、バストス氏はカマルゴ・コレア社やオデブレヒト社の弁護を担当する予定で、体調を崩して18日から入院していたシリオ・リバネス病院でも19日まで執務していた。
 サンパウロ州議会での葬儀には政界、司法界などから多くの弔問客が訪れた。20年以上愛用した法服に包まれた遺体は、21日に荼毘に付された。