南聖ジュキア線のペドロ・デ・トレド入植百周年を祝う式典が15日、第2回沖縄祭りの中で開催され、サンパウロ市の沖縄県人会本部やサントアンドレ支部からも民謡愛好会などの芸能団を乗せたバス2台がそれぞれ駆け付け、地元ブラジル人と共に盛大な祝い宴を終日繰り広げた。
1912年に建設開始したジュキア線は14年に完成、その工事に参加した沖縄移民らが沿線に住み着いたことから始まった地区だ。
同沿線最古参の長田栄治さん(ながた、沖縄県名護市、96)=ミラカツ在住=は「ワシがきた1935年頃、この町には600家族がいた」と思い出す。現在は60家族で、ほとんどが沖縄系だ。
リベイラ河沿岸日系団体連合会の山村敏明会長の薦めにより、今年の百周年を見込んで昨年から「沖縄祭り」を同地で始めていた。今年の式典は、同祭りの一部として昼過ぎから近隣の市長ら多くの来賓を迎えて行われた。
金城島袋ソランジェ実行委員長(アレクリン日本人会会長)は開会挨拶で、「いちゃりばーちょーでー(一度会ったら皆兄弟)の精神で準備してきた。この団結自体が祭りの成果だ」と遠路駆けつけた協力者に感謝した。山村連合会長も「ここは最古の植民地の一つ、そこで百年祭が行われることは実に頼もしい。先人に感謝」と称賛した。
同地の宮代セルジオ市長の妻マリザ夫人が夫を顕彰する挨拶をし、郷土史家のアナ・マリア・センジンさんが記念出版した同地移民史『Centenário da Imigração Japonesa em Pedro de Toledo』の刊行祝賀の挨拶をした。
県人会本部の島袋栄喜副会長は「ここを苗代に県系人は各方面に進出、活躍した。この地は沖縄コミュニティの誇り」と慶祝の言葉をのべ、先日刊行されたばかりで、同地のことも収められている『写真で見る沖縄県人の歴史』が宮城あきら編纂委員長から寄贈された。
パウロ・エドゥアルド市議会議長、カイオ・フランササンパウロ州議、飯星ワルテル連邦下議、在聖総領事館の飯田茂領事部長らに続いて、宮代市長は「60、70年代に多くの人がサンパウロ市などに移ったが、今日はたくさんが戻ってきている。鉄道工事に参加してこの町に住み着いたものの子孫として、この祭りを大変嬉しく思う」と喜んだ。
会場には同日本人会の沖縄ソバや連合会の日本食ブースを始め、写真展や各種出店など約20店が並んだ。タワタ・セルジオ副実行委員長は「去年は2千人だったが、今年は4千人来ている」と破顔一笑した。
援協サントス厚生ホーム運営委員長を務め、サンビセンチ在住の安次富ジョルジさん(二世、72)は、「父が1932年にここの町に来て、僕はここで生まれた。戦後、移転したがとても思い出深い。長い間、来ないうちに大分変わった。今日は踊りを披露するために来たんだ」と懐かしんだ。与那嶺真次元県人会長も「サンパウロ市やサントアンドレに住む県系人の多くが、ここに親戚がいる。我々のふるさとみたいな場所」と頷いた。
ミニ・リベルダーデがジュキア線に誕生!
まるでガルボン・ブエノ街の大鳥居周辺のような光景が、入植百周年を機にペドロ・デ・トレドにできる。
飯星ワルテル連邦下議の協力で、同市バスターミナル横の通り=写真=に鳥居とスズラン灯が建設された。その奥には、日系人が多く働くフェイラが毎週開催され、所縁のある場所だ。
本来はこの15日に開所式が行われる予定だったが、アウキミン州知事が出席する日程調整から30日に延期された。